カテゴリー: 念仏の心

11月のお便り(令和5年・114号)

【11月の写経会は25日2時より行います。】

*写経会の詳細は こちらから

 

【今月の掲示板】

「散ってゆくから 美しいのだ」

坂村真民『一切無常』の一節(全文は下記)

 

“一切無常”

近年はどんどん秋が短くなっているように感じますね。「冬隣り」の季語の通り、本格的な寒さの一歩手前という感じでしょうか。季節の変わり目、体調にはくれぐれもお気を付けください。

さて、京都は紅葉シーズンを迎え、ますます観光の方が増えそうです。当山には紅葉の見どころはありませんが、庭花などに秋の深まりを感じていただければと思います。

今月の月替わり御朱印には赤ちゃんの手と紅葉をモチーフにしました。赤ちゃんの小さな手は「紅葉のような手」と形容されるようで、妻が11か月になる娘の手を見てデザインしてくれました。

一方、散り行く紅葉は、老いや死に連想されることもあります。青葉が自然と色づき、輝きを増しながら散り行く様子は人の生涯のようであるというわけです。

仏教詩人の坂村真民さんの詩に「一切無常」という詩があります。

散ってゆくから

美しいのだ

毀れるから

愛しいのだ

別れるから

深まるのだ

一切無常それゆえにこそ

すべてが生きてくるのだ

もみじが散ることもなく一年中赤々としていれば、誰も美しいとは感じないでしょう。紅葉しかり、桜しかり、日本人が儚いものを美しいと感じるのは仏教の影響であるといわれます。

お釈迦様は「諸行無常」の教え(一切のものは変化を続け、不変なものはないという真理)を説かれました。また、この世は「苦」であるとも説かれましたが、この「苦」は“自分の思い通りにならない”という意味も含んでいます。まさに無常も私たちにはどうすることもできません。命は必ず失われ、大切なものは壊れ、親しい人との別れは惜しんでもやってきます。しかし、限りある命だからこそ今を大事にし、必ず壊れる物だからこそ愛おしみ、別れがあるからこそ出会いが深まるのでしょう。真民さんは“すべてが生きてくるのだ”と表現されています。

一切が無常であると受け止め、時に変化を楽しむことで、生き生きと日々を過ごすことができるのではないでしょうか。

合掌

 

令和5年11月限定御朱印(秋深し・300円)

秋が深まり、冬一歩手前ですね。
木の実を食べるリスをハンコにしました。

 

令和5年11月限定御朱印(色葉散る・800円)

いよいよ紅葉シーズンですね。もみじとイチョウ、赤ちゃんの「紅葉のような手」をイメージしました。今月も隠し絵がありますよ〜。

 

令和5年11月限定御朱印(百人一首・在原業平朝臣・柄付き和紙、見開き書置き800円)

百人一首をモチーフにした和歌御朱印です。

作者は在原業平朝臣です。

「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
【(不思議なことが多かったという)神代の昔でさえも聞いたことがない。竜田川が紅葉で紅色に水を絞り染めしているということは。】

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり11 月)

ワインときのこを抱く猫です。

お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

令和5年限定御朱印(柔和の心・1000円)

1月のお便りに書かせていただきました「柔和の心」テーマにしています。

「学べば即ち固ならず(学問をすれば自分の考えに凝り固まることがなくなる)」とは孔子『論語』の言葉です。

令和5年限定御朱印書置きの実(愛敬・1000円)

愛敬(あいぎょう)とは愛しみ、敬うことです。仏様のお顔は柔和で慈悲にあふれており、「愛敬相」といわれます。現代の「愛嬌あいきょう」や「愛想あいそ」もこの言葉から来ています。

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和5年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月8日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会・法要は2時より)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

10月のお便り(令和5年・113号)

【10月の写経会は28日2時より行います。】

*写経会の詳細は こちらから

 

【今月の掲示板】

 

 

“一心不乱”

やはり暑さもお彼岸で一区切り、朝夕は随分と過ごしやすくなりました。読書の秋、スポーツの秋、何かと没頭するにはよい季節ですね(食欲の秋には要注意ですが・・・)。

何か一つのことに没頭する様子を“一心不乱”といいますが、実はこれも仏教用語なのです。乱れない心というのが基本的な意味で、時宗が正所依(最も大切)の経典としている『阿弥陀経』には「人々が阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)を聞き、名号を心に保ち、あるいは一日、あるいは二日......あるいは七日、一心不乱であれば、その人が臨終を迎える時には阿弥陀仏や多くの聖者が目の前に現れてくださる」とあります。

七日というのは目安であり、一念一念、その時その時を大切にするのが時宗の教えです。そして、経文の「一心不乱」とあるように、私たちが精神を集中させ、心乱れないようにすることが肝要かというと、そうではないのです。一遍上人は次のように説かれています。

「『阿弥陀経』の“一心不乱”というのは私たちの一心ではなく、名号の一心である。もし名号以外に自力の一心を求めるならば、二心不乱になってしまう。それゆえ『称賛浄土教』には阿弥陀仏が慈悲の心を以て、念仏者の心が乱れないようにする、と説かれているのである。一心は私たちがさも集中して心を統一させているかのような妄念の心ではない。」

一心不乱の一心とは私たちの心ではなく、南無阿弥陀仏の名号の一心だということです。私たちは自力で心を定めることができないので、名号に心を任せきるほかありません。言い換えれば、念仏を通して私たちの心と阿弥陀仏の心が一体となり、往生が叶うということです。一遍上人は「阿弥陀仏の永遠の生命はあたかも大河のようであり、私たちの短い生涯は一滴のしずくのようではある。一滴ではすぐに乾いてしまうしずくも、大河に溶け込めば、永遠に乾くことのない大河と一体となることができる。」とも説かれています。

私たちは皆凡夫であり、常に心が乱れないようにすることは叶いません。しかしそれでよいのです。私たちの思いや計らいと往生とは関係がありませんから、それらを捨てて念仏し、阿弥陀仏に救われていることを喜び、感謝しながら生活することが一遍上人が説かれた念仏の道でありましょう。

合掌

 

令和5年10月限定御朱印(花野・300円)

花野は秋の花が咲く野原をいいます。秋は小ぶりで可憐な花が草花が多いですね。
コスモスと柿をハンコにしました。

 

令和5年10月限定御朱印(豊楽・800円)

豊楽は「ほうらく」もしくは「ぶらく」と読みます。実り豊かで人々が楽しく暮らす様子です。
善い種を蒔き、一生懸命耕せば、よい実りが得られるはずです。

 

令和5年10月限定御朱印(百人一首・凡河内躬恒・柄付き和紙、見開き書置き800円)

百人一首をモチーフにした和歌御朱印です。

作者は紀貫之と並び称され、「古今和歌集」撰者の一人となった凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」
【折るならば当てずっぽうで折ってしまおうか。白い初霜が降りて見分けがつかなくなった白菊の花を。】

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり10 月)

読書セットと焼き芋好きの猫です。

お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

令和5年限定御朱印(柔和の心・1000円)

1月のお便りに書かせていただきました「柔和の心」テーマにしています。

「学べば即ち固ならず(学問をすれば自分の考えに凝り固まることがなくなる)」とは孔子『論語』の言葉です。

令和5年限定御朱印書置きの実(愛敬・1000円)

愛敬(あいぎょう)とは愛しみ、敬うことです。仏様のお顔は柔和で慈悲にあふれており、「愛敬相」といわれます。現代の「愛嬌あいきょう」や「愛想あいそ」もこの言葉から来ています。

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和5年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月8日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会・法要は2時より)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

8月のお便り(令和4年)

【今月の掲示板】

「父母もその父母もわが身なり われを愛せよわれを敬せよ」
(二宮尊徳)

 

 

“追福の意義”

酷暑の季節がやってきました。この時期お盆のお墓参りをお考えの方も 多いかと思いますが、熱中症には十分にご注意ください。

お盆のお参りや法要の起源は『盂蘭盆経』というお経にあります。亡き母親が餓鬼がき道という苦しみの世界で飢えていることを知った目連尊者が、お釈迦様に相談したところ「安居(籠り修行)が終わった頃、比丘びく(僧侶)に食事を供養すれば母親は救われる」と言われ、一切の比丘に供養したところ、母親は餓鬼道から救われたという説話です。

亡くなった方への供養は「追善」や「追福」といい、大切な行いであると様々な経典に説かれています。もとは「追福作善ついふくさぜん」「追福修善」という言葉に由来していて、お塔婆にも書かれることが多いです。亡くなられた方のために、この世で善い行いをして、冥福(冥土での幸福)を祈ることが追福作善の意味です。四十九日や百箇日、一周忌、三回忌・・・と節目節目で法要を行うことが最善であるとされています。

人は亡くなったらそれまでではありません。その方の行いや想いは後の人に残るものです。また、故人と生前とは違った関係が始まるともとらえられます。そこを繋ぐことも追善供養の意義なのです。

法要には3つの「であい」があります。まず、故人との出逢い。亡き人を偲び念じる時、再びお逢いすることができるでしょう。次に、家族や親戚との出会い。家族親族は離れていても一たび会えば安らぎ、懐かしさを感じるのではないでしょうか。そして最後は仏教との出遇い。お寺にお参りし、仏教の教えに触れるということも大変な意義があるかと思います。

法要に限ったことではありませんが、これらの「であい」を大切になされば必ずや福徳が得られるかと思います。それはご先祖様、仏様からの賜りものに他なりません。

合掌

 

令和4年月8限定御朱印(片袖の弥陀・300円

当山の御本尊である阿弥陀如来像は、右袖が垂れていないので「片袖の弥陀」とも言われます。
今月は、ひまわりをモチーフにしています。。

 

令和4年8月限定御朱印(追福作善・800円)

モチーフは灯篭流しと線香花火です。追福作善とは亡くなった人への供養をいいます。お盆にあたり、ご先祖様から命を受け継いでいる我が身に感謝し供養をいたしましょう。

 

令和4年8月限定御朱印(京の都・宗尊親王和歌、柄付き和紙、見開き書置き800円)

「宗尊親王和歌シリーズ」です。親王像の絵は御奉納いただいたものを参考にしています。宗尊親王は当山の開基(創建者)です。史上初の皇族将軍として鎌倉幕府6代将軍に就き、その後更迭されるなど波乱に満ちたご生涯を過ごされました。和歌に非常に長けられ多くの作品を残されました。

「またれこし 都はおなじ みやこにて 我が身ぞあらぬ わが身なりける」

解釈:待ちに待った京の都への帰還で、都は変わらない姿であるが、私自身は以前と変わって、将軍を更迭された身となってしまったことだ。
*宗尊親王は1,274年8月1日、33歳で遷化されました(来年が750回忌です)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり8 月)

夏バテ猫とヨーヨーです。
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

 

【8月の写経会はございません】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和4年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月9日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

和顔愛語わげんあいご

穏やかな顔、やさしい言葉づかいを心掛けましょう

「福田寺だより9月 88号」

二河白道にがびゃくどう

早いもので9月を迎えます。秋というべき季節でしょうが、この暑さでは秋を肌で感じるにはまだのようです。またこの夏は全国的な大雨に悲惨な災害も相次ぎました。被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。

さて、総本山遊行寺では、例年9月21日~24日に「秋の開山忌」として一遍上人のご入滅を偲ぶ忌日法要が行われています(本年はコロナ禍のため22日~24日に縮小)。一遍上人が入滅されたのは8月23日ですが、これは旧暦のため、現在の暦では9月に法要が営まれます。

9月23日前後は秋のお彼岸がありますので、一遍上人ご入滅とお彼岸が同じ時期になります。お彼岸にも一遍上人にも深くかかわるものに「二河白道にがびゃくどうたとえ」があります。

二河白道とは浄土教者の信仰についての譬え話で、唐の善導大師が説かれました。要約して紹介します。

ある旅人が西へと向かって歩いていると、突如として目の前に2つの河が現れます。南は燃えさかる火の河、北は渦巻く水の河です。二河の真ん中に4,5寸ほどの白い道がありましたが、火も波も激しくとても渡りきれそうにありません。さらに振り返れば盗賊、猛獣が近寄ってきています。窮地に追い込まれ恐怖でいっぱいになりますが、どうせ死ぬならばと白道を歩もうとします。すると東岸から「真っ直ぐ進んで行きなさい」と声が聞こえ、また西岸からも「恐れずにこちらに来なさい」と声がします。後押しされ白道を歩みだし、無事に旅人は西岸へと渡れました。

以上が物語ですが、では何が譬えられているのでしょうか。まず西岸は彼岸(極楽浄土)を、東岸は此岸(この世)を表しています。次に旅人とは私たち浄土教を信仰する者であり、火の河は私たちの憎しみや怒りの心、水の河は欲にまみれる心、盗賊・猛獣は心身に伴う煩悩を表します。私たちは常々煩悩にさいなまれ、欲におぼれたり、怒りに心を燃やしたり、この世で苦しみに苦しみを重ねているのです。

この窮地に一筋の光となる道が白道です。これは極楽浄土に往生したいと願う心の譬えとされますが、一遍上人は「水火の二河は我等が心なり。二河におかされぬは名号なり」と説かれ、この白道こそ「南無阿弥陀佛」の名号であると解釈されました。また、東岸の送り出す声はお釈迦様、西岸の迎える声は阿弥陀様であり、念仏者の往生が二尊によって叶うことが示されています。

この物語は「二河白道図」という絵画で表されるようになり、信州善光寺を参詣された一遍上人もこの絵を写し取られて自らの本尊とされました。

お彼岸は太陽が真西に沈み彼岸(極楽浄土)に心をはせるのに最上とされます。煩悩の二河に堕ちることなく白道を歩みたいものです。

合掌

 

・9月限定御朱印(爽秋・300円)

爽やかで気持ちの良い秋と言う意味です。
ハンコは庭のサギソウとコスモスをモチーフにしています。

 

・令和3年9月限定御朱印(二河白道・700円)

消しゴムはんこの赤と青の彼岸花で二河を表してみました。
詳しくはお便りの法話をご覧ください。

 

令和3年9月限定御朱印(蓮華、柄付き和紙、見開き書置き800円)

9月23日が一遍上人忌ということで、一遍上人が入滅される直前に詠まれた和歌を書いています。
「南無阿弥陀 ほとけの御名(みな)の いづる息 いらば蓮(はちす)の 身とぞなるべき」
(「南無阿弥陀仏」と名号を一息一息に称える。その出た息を引き取り臨終を迎えた時こそ、極楽浄土の蓮台に往生する身となるのだ。)

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり9月)

旬の京野菜である鹿ヶ谷かぼちゃ、
月見団子が気になる猫ちゃんを押しています。
阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

【次回の写経会は9月25日です(緊急事態宣言が京都府下に出ている場合は中止)】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

8月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

「8月 87号 踊らばおどれ」

“踊らばおどれ”

本格的な夏到来となりました。7月23日に東京オリンピックがいよいよ開会し、毎日熱戦が繰り広げられています。開催までにはコロナ禍での無観客対応や、不祥事の続出などまさに五里霧中の状態で、“五輪霧中”と揶揄される事態になってしまいましたが、やはり始まってしまえば“五輪夢中”とばかりにテレビに釘付けという方も多いのではないでしょうか。様々な困難を乗り越える選手には本当に感動させられますね。

さて8月と言えば、夏休みや夏祭りのイメージを持つかと思います。この夏祭りに欠かせないのが盆踊りです。全国各地で盆踊りは行われていますが、総本山遊行ゆぎょう寺のある神奈川県藤沢市では『遊行の盆』と題された盆踊り大会が毎年盛大に行われています。会場は遊行寺を中心にして、全国三大盆踊りである「阿波あわ踊り」、「西馬音内にしもない盆踊り」、「郡上ぐじょう踊り」が披露されるなど大変にぎやかなお祭りです。「遊行」と題されているのは宗祖一遍上人(初代遊行上人)が全国に広められた「踊り念仏」が盆踊りの起源として有力だからです。

踊り念仏とは鉦や太鼓を使って音頭を取りながら唱える念仏のことです。平安時代の空也上人が始め、一遍上人が広められたといいます。「一遍聖絵」には「小田切おだぎりの里(長野県佐久市)」で念仏を唱えていた一遍上人一行が極楽往生を約束された歓喜のあまり、突発的に踊り始めたことが記されています。その後は踊り小屋と呼ばれる舞台を作り、その上で踊り念仏を行うことも多かったようです。つまり見世物のようにして人を集め、念仏の喜びを分かち合い、念仏信者を増やしていったのです。

ある時、延暦寺塔頭の重豪じゅうごうという僧侶が、一遍上人のもとにやってきて「踊りながら念仏するとはけしからん。」と申し出ました。一遍上人は「跳ねばはね 踊らばおどれ 春駒の のりの道をば 知る人ぞ知る(春の野に駆ける馬のように、跳ねたければ跳ねればよい、踊りたければ踊るがよい。仏法の道は分かる人には分かるものである)」と和歌で答えられました。それでも重豪は納得できず「心の跳ね馬(煩悩)を静めた人ならば、わざわざ踊り跳ねる必要はないであろう」という内容を和歌で返します。さらに一遍上人は「ともはねよ かくても踊れ 心ごま 弥陀の御法みのりと 聞くぞうれしき(理屈抜きに跳ねて踊りなさい。阿弥陀仏の救いは聞くだけで嬉しく体が動くではないか)」と返歌されました。この後、重豪は発心して念仏の行者になったということです。

一遍上人は常々、我執がしゅう(自らの計らい)を捨てた念仏を説かれています。この重豪とのやり取りでも、喜びのまま踊りだしているだけだと仰っています。心や煩悩を制御することではなく、計らいを捨てることを強調しておられるのです。時代が移り変わり、現在の踊り念仏は原型とは違うものになったかもしれませんが、その意味は変わることなく伝承されています。

合掌

 

・8月限定御朱印(盆会・300円)

「盆会」とは、8月の仏教行事である盂蘭盆会の略称です。ヒマワリとホオズキのハンコを押しています。

 

・令和3年8月限定御朱印(踊り念仏・700円)

踊り念仏は宗祖一遍上人が広められた念仏で、鉦をたたき、足をステップし、リズムよく念仏するのが特徴です。
また、現在全国で行われる盆踊りは、踊り念仏に影響を受けて生まれたと言われています。

 

令和3年8月限定御朱印(五輪記念、柄付き和紙、見開き書置き800円)

東京オリンピック・パラリンピックを記念して作りました。金魚は五輪カラーです。
「己に克つ者こそ最上なれ」とはお釈迦様のお言葉で、多くの敵に勝るよりも自己に打ち克つことを目標とせよ、という意味です。

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり8月)

ヒマワリと金魚を押しています。
阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

【次回の8月の写経会は中止いたします】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

7月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

 

“一日一生”

先月末に京都府下の緊急事態宣言が解除されました。ただし蔓延防止措置に移行ということなので、まだまだ油断はできませんね。当山におきましては対面での御朱印授与を再開しております。どうぞ感染対策徹底の上ご参拝いただければと思います。

さて7月7日は「七夕」として知られています。七夕は元来日本にあった盆行事の一環とされ、お盆に帰ってくる祖霊や神々を迎えるために棚づくりをして、乙女が機を織ったことから「たなばた」の読み方が当てられたという説があります。また「棚幡たなばた」とも書くように、仏教行事として祖霊を迎え、供養するための精霊棚と、幡(ばん/はた)が由来とも言われます。この行事と中国の星の伝説などが融合して現在のような七夕の世界観が生まれたということです。

「天の川に住む織姫おりひめ織女星しょくじょせい)と彦星ひこぼし牽牛星けんぎゅうせい)は愛し合いながらも天帝によって引き離されてしまい、年に一度だけは天の川を渡り、出会うことが許された」という物語は日本では最も知られたものではないでしょうか。奈良・平安時代から現代にいたるまで七夕を詠んだ和歌が様々残されており、いかにこの恋物語が日本人に共感できるものだったかが分かります。

また七夕の季節に咲くアサガオが「牽牛花けんぎゅうか」と呼ばれたことから、江戸時代には織姫と彦星の再会と重ね合わされ、アサガオの開花が吉兆とされたといいます。アサガオは基本的に咲いて一日で枯れる「一日花」ですから天の川伝説になぞらえられるのも頷けます。儚いものに強く惹かれるのは日本人の性でしょうか。これには仏教の教えも関係しています。

仏教には“ものごとは常に一瞬一瞬移り変わっている”という諸行無常の教えがあり、私たちはそれを念頭に置かなければならないと説かれます。つまり“今この時”を大事にするという教えです。

宗祖一遍上人も「ただ今の念仏の外に臨終の念仏なし」と説かれています。臨終とは亡くなる瞬間のことで、その反対の日常は平生といいます。一遍上人は、臨終で往生したければ、今念仏するがよく、平生の常々を臨終だと思って大切にすることを教えておられます。他の法語でも「生死は生まれてから死ぬまでの一期いちごを指すだけではない。一日一日、一念一念、一息一息、これもまた生死である」と日頃の心構えを示されています。(一日生死とは「朝を生となし、暮を死となす」こと)

ある先輩僧侶が「一日一生。一日を大切にして、またリセットすることが大事だ。」と教えてくださいました。その日その時を大切に日々過ごしたいものです。

合掌

 

・7月限定御朱印(300円)

「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」から。朝顔は一日花なので栄華の儚さにも例えられます。

 

・令和3年7月限定御朱印(天の川・700円)

朝顔の開花は天の川の星伝説と合わさり、「花が開けば織姫と彦星が再開できた証し」とも言われたそうです。
「一日一生」という言葉には「1日1日を大切に過ごす」という意味があります。また一遍上人のお言葉に「朝を生となし、暮を死となす」とあります。

 

令和3年7月限定御朱印(七夕、柄付き和紙、見開き書置き800円)

当寺開基の宗尊親王の和歌「天の河 いつかと待ちし 七夕の 行き逢ひ今日に なりにけるかな」
(天の川よ、いつかいつかと待った七夕であるが、ようやく両星が出逢う今日になったのだな)

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり7月)

カブトムシとクワガタが気になる猫&桔梗

 

【次回の写経会開催予定:7月24日(土)午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

6月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

 

“花のことは花にとえ”

今年は記録的な早い梅雨入りとなりました。平年より20日ほど早いということですが、明けるのも7月上旬と、早い梅雨明けが予想されているようです。毎年様々な異常気象が現れますが、近年は豪雨災害が顕著となっておりますので、河川の近くや山間にお住まいの方はくれぐれもご注意いただければと思います。

さて、気象現象は様々ありますが、現代のような科学技術をもたない頃はさぞかし不思議な事ばかりだったのではないでしょうか。そのような不思議な現象は宗教的に解釈されることも多くありました。宗祖一遍上人の時代、中世の頃には空にたなびく「紫雲しうん(彩雲)」や「空から降る花、音楽」が吉兆としてみなされ、特に念仏者の臨終の際に現れる紫雲や天からの花や音楽は“極楽往生できた”というあかしであると一般に考えられていたようです。

一遍上人の生涯を描いた『一遍聖絵いっぺんひじりえ』には次のようなエピソードが残っています。

片瀬の浜の地蔵堂(現、神奈川県藤沢市)にて念仏修行をしておられた頃、出家在家を問わず多くの人々が集まってきたそうです。その時、紫の雲が立ちのぼり、空から花が降り始めたといいます。そのような奇瑞が度々起こるので、一人が不思議に思い一遍上人に尋ねたところ、

「花のことは花にとへ。紫雲のことは紫雲にとへ。一遍はしらず。(花のことは花にきなさい。紫雲のことは紫雲に訊きなさい。一遍は知らない。)」とおっしゃったのです。続けて、

「花がいろ 月がひかりと ながむれば    こころはものを 思はざりけり」 (花には花の色があり、月には月の光がある。ただそれだけのことであると眺めていれば、心には執着が起こらない) と詠まれました。

いかにもサッパリとしたお答えではないでしょうか。前回のお便りで紹介したように、全ての自然は念仏のあらわれであり、紫雲や花もあるべきようにあるのだと一遍上人は説かれているのです。同時に、一遍上人が勧められた念仏の教えが奇瑞を呼ぶ奇跡じみたものではないということも分かります。

実はこのエピソードは一遍上人の臨終にまで繋がっています。臨終が近づいた頃に紫雲が立っているのを弟子がお伝えした時、上人は「では今日明日の臨終はないであろう。わたしの最期にはそのような奇瑞は出ないはずだ」「ものの道理が分からなければ天魔の心を持ってしまい、真の仏法を信じることができない(奇瑞を妄信してしまう)。大切なのは“南無阿弥陀仏”だけである」とおっしゃり、果たしてその通り、その後は臨終まで奇瑞はなかったということです。まさに身心を自然に任せて、はからいを持たないお念仏を貫かれた一遍上人の姿勢がうかがえます。

合掌

令和3年6月限定御朱印(300円)

 

令和3年6月限定御朱印(見開き700円)紫雲と紫陽花

 

令和3年6月限定御朱印(月とホタルブクロ、薄紫和紙、見開き書置き800円)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり6月) カエルとホタルブクロ

【次回の写経会開催予定:6月26日(土)午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

1月のお便り(令和2年)

今月の言葉

「名号の外に機法なく、名号の外に往生なし 」

(南無阿弥陀仏の名号の外に衆生(人間)や仏はなく、また名号の外に往生もない。名号が全てを包み込んでいる。)

『一遍上人語録』

 

“ 念仏は多いほうが良い?”

明けましておめでとうございます。

新年を迎え、謹んで至心に檀信徒の皆様のご平安を心より祈念申しあげます。

行く年来る年を題した俳句に高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」があります。新年を迎えれば、人は昨日を「去年」、元日からを「今年」と呼んで分け隔てますが、実際に明確な差はありません。それはまるで一本の棒のように切っても切り離せないものだということです。

さて、昨年のお正月号で「一息生死」のお話をさせていただきましたが、覚えておられるでしょうか。一期(一生)には始まりと終わり(生と死)があり、同様に一年、一月、一日にも始まりと終わりが来る。そうして突き詰めていくと一息にも生と死の繰り返しがあることが分かります。まさに“貫く棒”のように連綿と続く営みです。一息一息にも臨終があるのだと心得て、日々を大切に生きる重要さを一遍上人は説かれているのです。たった今現在と思っていても、あっという間にそれは過去になります。「今が一番若い」という言葉を掲示板で見たことがありますが、まさに“今”をかみしめる言葉ではないでしょうか。

仏教では、時間は刹那(一瞬)にやってきて刹那に過ぎ去るものであると考えます。過去・未来から切り離された非連続の“今”、この“今”が連続して時の流れを感じるのです。先ほどは生死の繰り返しを棒のようと申しましたが、棒に見えて実は輪切りの塊と言えるでしょう。一遍上人はこの時間の考え方から、お念仏の教えを「ただ今の念仏」、「一遍の念仏」をおっしゃいました。当時、念仏は多く唱えるほうが往生に繋がると考える人も多い中、一遍上人は数ではなく、一念一念を往生のため大事にする念仏を勧められたのです。ただ今念仏する時が往生の時であり、それ以外は考えられません。

この往生を可能にするものは一体何でしょうか。阿弥陀様の力でしょうか、念仏の数でしょうか、それとも信心の深さでしょうか。様々な解釈がありますが、一遍上人の答えは、名号「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀仏は覚りを得られたとき、名号を唱えるすべての人々を極楽へ往生させることを誓われました。つまり名号こそが阿弥陀仏と人々を繋ぐということです。これを時宗では「機法一体の念仏」と申します。機は私たち衆生、法は阿弥陀仏を指します。ですから口で名号を唱える刹那、私たちは名号をかけ橋として阿弥陀仏と一体となっているのです。

合掌

「福田寺だより」1月 68号

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・写経会…詳細は後日

11月のお便り

今月の言葉

「臨終 即 平生へいぜいなり」

(臨終というのは死に際だけではない。一瞬一瞬、一念一念に生と死は繰り返されている。)

『一遍上人語録』

 

“ 真教上人七百年御遠忌 成満 

台風19号が東日本を直撃し甚大な被害を及ぼしました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興を願うばかりです。

被災した遊行寺大イチョウ

神奈川県藤沢市の総本山遊行寺も被災しました。樹齢700年で本山のシンボルとも言える大イチョウの一部が、強風により折れてしまいました。樹高21メートル、幹回り7メートルで市の天然記念物でもありました。再生を願いたいと思います。

奇しくも、10月11日~15日は「二祖真教上人七百年御遠忌」法要が修されており、私も裏方として出仕しておりました。台風直撃はまさに御遠忌真っ只中で、多くの団体参拝はキャンセルになったものの、何とか法要全てを成満することができました。

思い返せば本御遠忌は「なむあみだ佛はうれしきか」をスローガンに掲げ、昨年9月16日の神戸・真光寺での「有縁の地法要」から始まりました。さらには福井県敦賀市の来迎寺、氣比神宮で記念法要が勤められました。そして、今年の2月27日の開白法要を皮切りに本山において毎月様々な法要が行われ、10月の結願法要を迎えたのです。住職は「二祖上人七百年御遠忌実行委員会」の委員として、私は広報部会員として御遠忌に携わらせていだき、時宗教団の礎を築かれた真教上人の恩徳を偲ぶとともに、祖師方より受け継がれてきた念仏の教えの喜びを広く分かち合えるようにと注力してまいりました。京都教区においても、京都国立博物館で御遠忌特別展、並びに「踊躍念仏」法要の公演、合同での本山団体参拝と、多くの檀信徒の皆様が御遠忌に触れていただくことができました。

結願法要 (右:他阿真円上人) (左:当山住職)

 

「なむあみだ佛はうれしきか」とは、宗祖一遍上人が真教上人にかけられたお言葉で、念仏に生きる喜びをよく表していると思います。真教上人もそこに強く共感し教団の後継に尽力されたのです。時宗の教えでは、命が尽きる時に極楽往生を遂げようという考え方よりも、生きている“今”、念仏を称えて往生を果たそうという「平生往生」が強調されます。“往生=死”ではなく、念仏することにより自分が様々な命に生かされている、絶対的な仏である阿弥陀仏のみ光に包まれているのだと気づくことが大事なことだと説かれます。

今回の御遠忌を通して学んだこと、感じたことを今後に生かしていきたいと存じます。

合掌

「福田寺だより」11月 66号

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

10月のお便り

今月の言葉

「一代の聖教の所詮はただ名号なり」

(お釈迦様が一代で説かれた教えの究極は、名号「南無阿弥陀仏」に結着する。)

『播州法語集』

 

“救いは行動にある”

時宗総本山護持会カレンダーの10月の格言はご覧になったでしょうか。

「救いは行動にある」です。これは一遍上人を敬愛した詩人・坂村真民さんの「行動」という次の詩の一節です。

“救いは行動にある 行動すること 打坐も読経も 行動を伴って しんに生きてくる”

打座とは只管打坐しかんたざのことであり、“ただひたすらに坐禅する”という道元禅師の教えです。読経とは経典を読むことで、つまるところ口に称える念仏と言えるでしょうか。「救い」というのは仏様が救ってくださる、また自らが他者を救う、という両面であると感じます。いずれにせよ思いだけではなく、行動が伴わなければ願いは叶わないということです。

一遍上人は法語の中で、「お釈迦様の教えは最終的に念仏に集約されている。諸々の経典で阿弥陀仏の功徳について説かれており、浄土三部経(『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)においても、念仏の教えを明らかにすること、念仏を勧めることが説かれている。このことを知りながら、学問や経典の研究ばかりして念仏を忘れているのは、他人の財産をむなしく数えるようなものだ。一向に自分の身にはならず、金千両の引換券を持っていても使わないでいるようなものである」と説かれました。もちろん経典をおろそかにしてよいという訳ではなく、理論ばかりで行動が伴わない“頭でっかち”への教訓です。同様に念仏は“極楽浄土行き”の切符に例えられることがあります。切符をせっかく持っていても列車に乗り込まなければ、救いも何もないということです。

一遍上人はまさに身体的、行動的な聖(ひじり)でした。口称念仏はもとより、「遊行」(全国を行脚し布教すること)、「賦算」(手ずから念仏札を配られること)、「踊り念仏」(念仏救済の喜びを表した踊り)という時宗三大行儀にもすべて通じています。教義云々を頭で「理解する」、「信じる」ということよりも、その場で身体を通して「感じる」ということに重きを置かれたことが分かります。

また、私も人のことを言えた義理はありませんが、心に何かを思っても行動に移せない人は割と多いのではないでしょうか。あるいは得られた知識だけで満足してお終いということはありませんか。インターネットが発達し、コミュニケーション不足、現代社会だからこそ、知識や言葉だけでなく行動・体験が重要になってくるのだと思います。最近の御朱印巡りや体験型の観光地の流行はこの一端かもしれません。

理屈に縛られず、“まずは一歩”と踏み出したいものです。

合掌

「福田寺だより」10月 65号

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)