【今月の掲示板】
“一日一生”
先月末に京都府下の緊急事態宣言が解除されました。ただし蔓延防止措置に移行ということなので、まだまだ油断はできませんね。当山におきましては対面での御朱印授与を再開しております。どうぞ感染対策徹底の上ご参拝いただければと思います。
さて7月7日は「七夕」として知られています。七夕は元来日本にあった盆行事の一環とされ、お盆に帰ってくる祖霊や神々を迎えるために棚づくりをして、乙女が機を織ったことから「たなばた」の読み方が当てられたという説があります。また「棚幡」とも書くように、仏教行事として祖霊を迎え、供養するための精霊棚と、幡(ばん/はた)が由来とも言われます。この行事と中国の星の伝説などが融合して現在のような七夕の世界観が生まれたということです。
「天の川に住む織姫(織女星)と彦星(牽牛星)は愛し合いながらも天帝によって引き離されてしまい、年に一度だけは天の川を渡り、出会うことが許された」という物語は日本では最も知られたものではないでしょうか。奈良・平安時代から現代にいたるまで七夕を詠んだ和歌が様々残されており、いかにこの恋物語が日本人に共感できるものだったかが分かります。
また七夕の季節に咲くアサガオが「牽牛花」と呼ばれたことから、江戸時代には織姫と彦星の再会と重ね合わされ、アサガオの開花が吉兆とされたといいます。アサガオは基本的に咲いて一日で枯れる「一日花」ですから天の川伝説になぞらえられるのも頷けます。儚いものに強く惹かれるのは日本人の性でしょうか。これには仏教の教えも関係しています。
仏教には“ものごとは常に一瞬一瞬移り変わっている”という諸行無常の教えがあり、私たちはそれを念頭に置かなければならないと説かれます。つまり“今この時”を大事にするという教えです。
宗祖一遍上人も「ただ今の念仏の外に臨終の念仏なし」と説かれています。臨終とは亡くなる瞬間のことで、その反対の日常は平生といいます。一遍上人は、臨終で往生したければ、今念仏するがよく、平生の常々を臨終だと思って大切にすることを教えておられます。他の法語でも「生死は生まれてから死ぬまでの一期を指すだけではない。一日一日、一念一念、一息一息、これもまた生死である」と日頃の心構えを示されています。(一日生死とは「朝を生となし、暮を死となす」こと)
ある先輩僧侶が「一日一生。一日を大切にして、またリセットすることが大事だ。」と教えてくださいました。その日その時を大切に日々過ごしたいものです。
合掌
「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」から。朝顔は一日花なので栄華の儚さにも例えられます。
朝顔の開花は天の川の星伝説と合わさり、「花が開けば織姫と彦星が再開できた証し」とも言われたそうです。
「一日一生」という言葉には「1日1日を大切に過ごす」という意味があります。また一遍上人のお言葉に「朝を生となし、暮を死となす」とあります。
当寺開基の宗尊親王の和歌「天の河 いつかと待ちし 七夕の 行き逢ひ今日に なりにけるかな」
(天の川よ、いつかいつかと待った七夕であるが、ようやく両星が出逢う今日になったのだな)
カブトムシとクワガタが気になる猫&桔梗
【次回の写経会開催予定:7月24日(土)午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)
*写経会の詳細は こちらから
>「京都時宗道場御朱印巡り」
年間行事予定(令和3年)
・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)
・毎月第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)
・日時未定…総代会
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)