カテゴリー: 捉われない心

10月のお便り(令和8年・149号)

~今月の行事~

【写経会:10月24日(土)14時より】

*写経会の詳細は こちらから

 

【掲示板】

 

『 足るを知る 』

秋も深まり、少しずつ過ごしやすい季節となってまいりました。田んぼでは稲穂が実り、頭を垂れる姿が見られる季節です。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があります。実をつけるほどに、その重みで頭を下げていく稲穂の姿を、人の謙虚さになぞらえた言葉です。

さて、皆様は「足るを知る」という言葉をご存じでしょうか。「もっとお金があれば」「もう少し広い家に住みたい」「もっと良いものが欲しい」。「隣の芝生は青く見える」といいますが、私たちは、今あるものよりも「持っていないもの」に目を向けてしまいがちです。

一つ手に入れば、また次のものが欲しくなる。欲しかったものを手に入れても、しばらくすれば、それが当たり前になってしまう。そして、また「もっと」と求めてしまう。

仏教には「少欲知足」という言葉があります。「少欲」と「知足」は、似ているようで少し意味が異なります。

少欲とは、むやみに求めたり取ったりしないこと。そして知足とは、少ないものであっても、それを得たことを悔やまないことです。また、得たものに執着しないことを「知足」と説いています。

仏教では、欲望をすべて悪いものとしているわけではありません。私たちが生きていく上で、より良くなりたい、何かを成し遂げたいという思いもあります。しかし、欲望に振り回され、「もっと、もっと」と際限なく求め続けてしまうと、いつまで経っても心は満たされません。だからこそ、自分が何を求めているのかを見つめ、必要以上に欲望に振り回されないことが大切なのです。

そして、「足るを知る」とは、何も欲しがらず、我慢して生きるということでもありません。むしろ、今の自分がすでに多くのものを「いただいている」と気づくことなのではないでしょうか。

今日食べるご飯も、住む場所も、家族や友人とのつながりも、私たち一人の力だけで得たものではありません。多くの人の働きや、自然の恵み、そして数えきれないご縁によって、今の暮らしが成り立っています。

「もっと欲しい」と思うばかりの心ですと、いつまでも「足りない」ままです。しかし、「これもいただいている」と目を向けてみれば、何気ない日常の中にも、すでにたくさんの恵みがあることに気づかされます。今あるものを「足りている」と知り、その一つひとつを大切にいたしましょう。

実りの秋。頭を垂れる稲穂を眺めながら、私たちもまた、今いただいているご縁に気づき、感謝の心を持って一日一日を過ごしてまいりたいものです。

 

合掌

・当月限定御朱印

令和8年10月限定御朱印(秋果・500円・直書き可)

◯片面「秋果」

リンゴ、ブドウ、ナシ、栗、柿など 秋の果実が実る季節。「秋果」を「収穫」して「集荷」する、そんな場面がモチーフです。

 

令和8年10月限定御朱印(難思光仏・1000円・直書き可)

◯見開き「難思光仏」

令和8年は、阿弥陀仏の別号である「十二光仏」を一尊ずつ順に揮毫いたします。十二光仏とは阿弥陀如来の光明の働きを十二の徳としてあらわした尊称です。

宗祖一遍上人は、遊行の旅に携行する最小限の持ち物を「十二道具」と定め、それぞれを阿弥陀如来の功徳になぞらえて示されました。すなわち、日常で身近な道具を使うときにも、念仏の心、仏徳を思い起こすべしとの教えが込められています。

「南無阿弥陀仏。この人、人中の芬陀利華なるを信ずる心、これ即ち難思光仏の徳なり。」

難思光仏とは、私たちの思いでは想像することも難しい、到底はかり知ることのできない、阿弥陀如来の深い功徳をあらわすお名前です。
十二道具の一つに当てられる衣(ころも)は、身を包み、守るものです。また、僧侶が身につける法衣は、仏法をあらわすものとして、古くから人々に尊ばれてきました。
一遍上人は、念仏を称える人を「人中の芬陀利華」、すなわち人々の中に咲く白蓮華にたとえられました。蓮華は泥の中に咲きながらも、その姿は清らかで美しく、人々から尊ばれる花です。それと同じように、念仏を称える人もまた、阿弥陀如来の慈悲に包まれ、白蓮華のごとく尊い存在として生かされているのです。
私たちが自らの力で尊い人になるのではありません。

計り知れない阿弥陀如来のはたらきによって、私たち自身が白蓮華となる。
そのお力を信ずる心こそが、難思光仏の徳にほかなりません。

 

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり10月・直書き可)

◯写経奉納限定御朱印

今月の消しゴムハンコは、焼き芋/金木犀と猫です😸

お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。(ホームページから写経用紙も印刷できます)

 

来寺限定御朱印(500円・月替わり10月・直書き可)

◯来寺限定御朱印

「ようおまいり」は関西ではお参りした方にお掛けする言葉です。

*授与は直接ご参拝の方に限らせていただきます

 

・当年限定御朱印

令和8年限定(1000円・慈愛の心)直書き可

◯慈愛の心

慈愛とは、相手の苦しみに寄り添い、幸福や安らぎを願う心です。
この御朱印を通じて、慈愛の心が自分自身、周囲の人にも広がりますよう願っております。

 

令和8年限定(1200円・一路疾駆)書置きのみ

◯一路疾駆

一路疾駆とは、迷うことなく一途に歩み、目標に向かって力強く進む心を表します。
この御朱印を手にする方が、自分の道を信じ、勇気をもって前へ進めますよう願っております。
金の和紙にて授与させていただきます。

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和8年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時…写経会

・1月11日…総代会

・2月6日~3月16日…涅槃図公開(本堂公開日に限る)

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月6日14時…花まつり(釈尊降誕会)

・8月…棚経(盆参り)

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り(令和6年・120号)

【5月の写経会は25日2時より行います。】

*写経会の詳細は こちらから

 

【今月の掲示板】

「非難の風 賞讃の風 揺らぐなかれ 動ずるなかれ」

 

『風吹けども動ぜず』

風薫る気持ちの良い季節になりました。初夏新緑の頃に吹く風は薫風や南風、凱風などと呼ばれ、南からくる温かい風を指します。ちなみに「南風」は「はえ」とも読む難読熟語、「凱」という字は「やわらぐ、穏やか」という意味があるそうです。

さて「風」という言葉は、「順風・追い風」あるいは「逆風・向かい風」という表現があるように、周りや環境が自分にとってプラスかマイナスかを指すこともあります。風は自分の外に吹くものですから、いくら順風を願っても自分の力では風向きを変えることはできません。一方、仏教にはプラスの風にもマイナスの風にも動ずることなかれ、という教えがあります。

禅語に「風吹不動」もしくは「八風吹不動(八風吹けども動ぜず)」という言葉があります。私たちには八つの風が吹くけれども、それに動じない、という意味です。八風は自分の外だけでなく内面に吹く風も表しており、自分にとって都合の良いもの、悪いものそれぞれ4つに分けられます。

【都合の良いもの、願うもの】

①利・・・自分だけにとっての利益

②誉・・・誉れを得ること、名誉

③称・・・称えられること、称賛

④楽・・・楽しみ、快楽

【都合の悪いもの、嫌うもの】

⑤衰・・・肉体の衰えや損失

⑥毀・・・やぶれること、不名誉

⑦譏・・・そしられること、非難

⑧苦・・・苦しみ、苦境

先ほどの順風や逆風と似ていますが、前述のとおり八風には自分の内面、心に吹く風もあります。一つ一つ皆様も具体的な経験が思い浮かぶのではないでしょうか。これらは弱い風ならば影響も小さいでしょうが、大きな風、嵐となって自分に吹けば、人生を狂わしかねないものです。そのような時、もし心に「不動」の教えがあれば、どこ吹く風とやり過ごすこともできるかもしれません。

ところで、この「風吹不動」は「天辺月」と続きます。不動の心は、あたかも地上の風に一切動じない天の月のようであるとの意です。私たちの心は本来、月のように清浄で不動なのですが、現実はさまざまな風に翻弄されるばかりです。そうやって風に吹き流されても、また元に戻って来られる、それが仏教の心、仏道なのではないかと思います。

合掌

 

・当月限定御朱印

令和6年5月限定御朱印(登竜門・500円)

①片面「登竜門」
鯉のぼり、菖蒲、お地蔵様(ちぶさじぞう)を押印しています。
鯉が滝を登って竜になったという「登竜門」の故事から、端午の節句には立身出世を願って鯉のぼりを掲げる風習ができたと言われます。

 

令和6年5月限定御朱印(風薫る・1000円)

新緑に吹き抜ける風が気持ち良い季節になりました🍃消しゴムはんこはフジとツバメを押しています。
今月も御朱印に隠し彫りがありますよ🙋

 

令和6年5月限定書置き御朱印(百人一首・小式部内侍・1000円)

③見開き書置き「百人一首/小式部内侍」
百人一首をモチーフにした和歌御朱印です。
母の日をイメージしてカーネーションで飾っています。
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」
【大江山を超えて生野を通り丹後に行く道は遠いので、天の橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も読んでいません】

*和歌の才能が優れた小式部は母である和泉式部が代作しているのではと噂がありました。小式部がある歌合に参加する際に、和泉式部は丹後に行っており不在だったので、藤原定頼がからかって「この度の歌合はどうしますか、お母様に手紙は出されたのですか。手紙は返ってきましたか」と尋ねたのに対し、小式部が即興で詠んだのがこの歌です。「文」と「踏み」、「行くの」と「生野」をかけて見事に切り返し、才能を見せつけたという逸話として残っています。

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり5 月)

鯉のぼり🎏と折り紙の兜を被った猫です😸
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。(ホームページから写経用紙も印刷できます)

 

来寺限定御朱印(500円・月替わり5 月)

1月から新たに授与させていただきます✨
「ようおまいり」は関西ではお参りした方にお掛けする言葉で知られています。
*授与は直接ご参拝の方に限らせていただきます

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和6年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時…写経会

・1月14日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会・法要は1時より)

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

 

令和6年限定御朱印(飛翔・1000円)直書き可

空を自由に飛翔する龍にあやかり、飛翔の一年となることを願い授与いたします。
右下のハンコは「辰」の漢字をイメージしています。

令和6年限定御朱印・書置きのみ(龍騰・1000円)

令和6年限定御朱印・書置きのみ(龍騰・1000円)

朱色と緑色は書き置き限定の御朱印で「龍騰りゅうとう」と揮毫させていただきました。
騰は高く上がる、盛んで勢いがある様を意味します。

12月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

更新をお待ちください

 

“除夜の鐘”

 もう年の瀬かと思われる方も多いのではないでしょうか。先日、清水寺で発表される「今年の漢字」一文字が公募されていたので、私は「異」という漢字を出してみました。普段と異なる日常、異例のオリンピック・パラリンピック無観客などから連想したのですが、もう少し前向きな漢字が選ばれてもいいかもしれませんね。皆様にとってはどのような一年だったでしょうか。

さて12月というと8日の成道会じょうどうえ(お釈迦様のお悟りをお祝いする日)がありますが、去年のお便り(→コチラ)でお話ししましたので、今号はもう一つの行事である「除夜の鐘」について書いてみたいと思います。

「除夜」というのは大晦日のことで、「除く」とあるように旧年を取り除いて新たな年に向かおうとする意味が含まれています。ですから除夜の鐘にも悪いものを払い除ける目的があるのです。それは煩悩であったり邪気であったりします。もともと鐘の音には時間を知らせる役割だけでなく、浄化の作用もあると言われているので、特に大晦日は新年を迎える意味合いから鐘つきが大切にされているのです。

この鐘をつく回数はお寺によって異なりますが「108」回が多いようです。108といえば「百八煩悩」ともいうように煩悩の数とされます。この108という数字の由来については諸説あり詳細は省きますが、代表的な煩悩を挙げてみたいと思います。

貪(とん/むさぼり)、瞋(しん/怒り・憎しみ)、痴(ち/真理を知らない)の三大(三毒さんどく)煩悩です。簡潔に言うと、貪は欲しい欲しいと思う人間の心、瞋は嫌だ嫌だと思う人間の心です。私たちは好きか嫌いかで物事を判断することが多く、好きなものは欲しい、捨てたくない、ずっと続いてほしい、逆に嫌いなものに関しては、嫌だ、手放したい、遭遇したくない、と考えることでしょう。つまり、好都合=貪、不都合=瞋が働いているといえます。これらは全て自分の都合であり、思い通りにいくことは多くはありませんので、結果的に苦しみを生んでしまいます。そして都合により判断をしてしまう根源的な原因が痴なのです。仏教の真理を知り、教えに従えば自分の都合だけで感情が左右されることも自ずと減っていくのです。

また宗祖一遍上人は「三毒は三業さんごうの中には、意地具足の煩悩なり」と説かれ、貪瞋痴の三毒煩悩は自己都合の執着から離れられない心だと示されています。これを取り除く唯一の道は、「南無阿弥陀仏」の名号を唱え、阿弥陀仏に全てをお任せすることであるとも説かれました。

何かとせわしない暮れの日々ですが、心新たに新年を迎えたいものです。   合掌

 

・12月限定御朱印(雪花・300円)

花のような雪や結晶を雪花と言います❄️
お庭にあるサザンカをモチーフにしています。

 

・令和3年12月限定御朱印(成道会・700円)

12月8日はお釈迦様のお悟りの日とされ、それをお祝いする法要は成道会と呼ばれます。
また私たちにお念仏の教えを説いてくださったお釈迦様の恩徳に感謝する日でもあります。

 

令和3年12月限定御朱印(年の瀬、青緑色柄付き和紙、見開き書置き800円)

青緑色のキラキラした和紙を使用しています。
和歌は宗尊親王作で「命とは 思ひも知らで 人ごとに はかなく急ぐ 年の暮れかな(命はいつまであるか分からないのに、人々は年の瀬の忙しさに追われていることよ)」です。除夜の鐘と和ロウソクをハンコにしています。

⁡

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり12 月)

京野菜の聖護院大根、エビ芋とコタツのキツネを押しています。
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

【次回の写経会は12月25日です(緊急事態宣言が京都府下に出ている場合は中止)】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

6月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

 

“花のことは花にとえ”

今年は記録的な早い梅雨入りとなりました。平年より20日ほど早いということですが、明けるのも7月上旬と、早い梅雨明けが予想されているようです。毎年様々な異常気象が現れますが、近年は豪雨災害が顕著となっておりますので、河川の近くや山間にお住まいの方はくれぐれもご注意いただければと思います。

さて、気象現象は様々ありますが、現代のような科学技術をもたない頃はさぞかし不思議な事ばかりだったのではないでしょうか。そのような不思議な現象は宗教的に解釈されることも多くありました。宗祖一遍上人の時代、中世の頃には空にたなびく「紫雲しうん(彩雲)」や「空から降る花、音楽」が吉兆としてみなされ、特に念仏者の臨終の際に現れる紫雲や天からの花や音楽は“極楽往生できた”という証あかしであると一般に考えられていたようです。

一遍上人の生涯を描いた『一遍聖絵いっぺんひじりえ』には次のようなエピソードが残っています。

片瀬の浜の地蔵堂(現、神奈川県藤沢市)にて念仏修行をしておられた頃、出家在家を問わず多くの人々が集まってきたそうです。その時、紫の雲が立ちのぼり、空から花が降り始めたといいます。そのような奇瑞が度々起こるので、一人が不思議に思い一遍上人に尋ねたところ、

「花のことは花にとへ。紫雲のことは紫雲にとへ。一遍はしらず。(花のことは花に訊ききなさい。紫雲のことは紫雲に訊きなさい。一遍は知らない。)」とおっしゃったのです。続けて、

「花がいろ 月がひかりと ながむれば    こころはものを 思はざりけり」 (花には花の色があり、月には月の光がある。ただそれだけのことであると眺めていれば、心には執着が起こらない) と詠まれました。

いかにもサッパリとしたお答えではないでしょうか。前回のお便りで紹介したように、全ての自然は念仏のあらわれであり、紫雲や花もあるべきようにあるのだと一遍上人は説かれているのです。同時に、一遍上人が勧められた念仏の教えが奇瑞を呼ぶ奇跡じみたものではないということも分かります。

実はこのエピソードは一遍上人の臨終にまで繋がっています。臨終が近づいた頃に紫雲が立っているのを弟子がお伝えした時、上人は「では今日明日の臨終はないであろう。わたしの最期にはそのような奇瑞は出ないはずだ」「ものの道理が分からなければ天魔の心を持ってしまい、真の仏法を信じることができない(奇瑞を妄信してしまう)。大切なのは“南無阿弥陀仏”だけである」とおっしゃり、果たしてその通り、その後は臨終まで奇瑞はなかったということです。まさに身心を自然に任せて、はからいを持たないお念仏を貫かれた一遍上人の姿勢がうかがえます。

合掌

令和3年6月限定御朱印(300円)

 

令和3年6月限定御朱印(見開き700円)紫雲と紫陽花

 

令和3年6月限定御朱印(月とホタルブクロ、薄紫和紙、見開き書置き800円)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり6月) カエルとホタルブクロ

【次回の写経会開催予定:6月26日(土)午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

 

“風の音、浪の音”

先月25日、3度目となる京都府への緊急事態宣言が出されました。当寺におきましては、御朱印の直書き日設定を中止し、月参りや法要の感染予防対策の再確認をいたします。皆様もどうぞご健康にお気をつけてお過ごしください。私もそうですが、外出を控えるとどうしても体がなまってしまうという方も多いのではないでしょうか。せっかく気候の良い時期ですから、人混みを避けて散歩に行くというのも一つの手かと思います。若葉の香り、気持ちの良い風がまさに「薫風」の趣です。

さて一遍上人の法語の中に「よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。(命あるもの、山河や草木はもちろんのこと、風の音、波の音も全てが念仏である)」というお言葉が出てきます。これは念仏の安心あんじん(信心のあり方)について尋ねられた時の返答の一文で、その前部分では智慧と愚痴、善と悪、地獄と極楽といった一見対立する「境界(区分)」を一切“捨てる”ことを説かれます。これらの境界線を作っているのは執着しゅうぢゃく、我執がしゅう(自らのとらわれ、思い込み)であり、これを捨てる、つまり自らの計らいを止めて無心で阿弥陀仏に帰依する心が重要であると説かれました。時宗ではこれを「無安心の安心」とも呼びます。

「執着」というのは誰しもが持っているものでありましょう。“私は真面目で欲も少なく、執着心もない”と思っている人ほど要注意かもしれません。次のようなエピソードがあります。

あるところに二人の旅の僧がいました。二人が山の中で川にさしかかったとき、一人の女性が困り果てていました。見ると前日の雨で川が増水し、女性の力では簡単に渡れそうもありません。一人の僧は「よし、私が背負って川を渡してやろう」と言い出しますが、もう一人の僧は「何を言っているのか。私たちは修行の身で女性の体に触れることは許されていない。かわいそうだが助けられない。」と制止します。それでも「いいから助けてやろう」と一人で女性のもとに歩み寄りました。そしてそのまま女性を背負い、無事に川を渡り終わると何事もなかったかのように旅を続けました。もう一人の僧はその後を追いますが、道中も「戒を破るとは何ということだ」という悶々とした気持ちがぬぐえません。長い道のりを黙って過ごしますが、やはり一言言わなくてはと口を開きます。「先ほどの女性を背負ったのは正しいことなのか。掟破りではないのか」と言うと、女性を助けた僧はこう返しました。「あぁ、君も案外と助平だね。僕はあの女性のことなんか道中すっかり忘れていたけど、君はずっと彼女を背負ったままだったんだね」と。

お分かりの通り、女性を助けた僧は本当の意味で「とらわれの心」を持たない傑僧だったのです。この僧や一遍上人のようにとらわれの心をなくせば「山河草木、風の音、浪の音が全て念仏」と聞こえる至高の境地に至れるのでしょうか。

合掌

令和3年5月限定御朱印(片面300円)

 

令和3年5月限定御朱印(見開き700円)

 

令和3年5月限定御朱印(黄緑和紙、見開き書置き800円)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり5月)

【次回の写経会開催予定:5月22日午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

3月のお便り(令和2年)

今月の言葉

「無縄自縛むじょうじばく」

(〔意味〕縄もないのに、みずからわが身をしばること。迷者は迷いに、悟者はさとりにとらわれて、自由になることのできない状態をいう。(精選版日本語大辞典))

「福田寺だより」3月 70号(PDF)

 

“ 般若心経”

先月に引き続き新型肺炎が猛威を振るっております。体調管理にはくれぐれもお気を付けください。

今年の春のお彼岸は3月17日~23日(20日が中日)までの期間です。22日には本堂で恒例の彼岸施餓鬼法要もございます。

またこの度、4月より「写経会」を開催することとなりました。どなたでも気軽に参加いただければと思っております。1度だけの体験でも、もちろん結構です。ただし、新型肺炎の影響が懸念されますので、また4月のお便りにも開催の有無をお知らせいたします。

写経というと、「難しそう」、「筆は慣れてないから」、と敬遠される方もおられますが、もったいないことです。“上手く”ではなく“心を静めて丁寧に”が、一字一字に仏様が宿られていることを意識して、写し取っていくことが大事です。

写経する経典として一般的なのものは『般若心経』です。文字数は266文字と非常に短いですが、大乗仏教を代表する経典とも言われ、現在でも浄土真宗、日蓮宗系を除きほとんどの宗派で誦よまれています。時宗においても、特に祈願に関する法要ではよく誦まれ、総本山遊行寺では毎朝の勤行の後に、天照皇大神・熊野権現・大隅正八幡大菩薩の神棚に向かい読経する際に用いられます。

『般若心経』は正式には『般若波羅蜜多心経』といい、「空」を正しく理解した時に人々は苦しみから解放されると説かれています。この「空」の思想はお釈迦様が説かれた「縁起」と密接に関係しています。「縁起」とは全てのものは、独立して成り立っていないという教えです。例えば、「車」はタイヤやボディ、ガラス、ライトなど様々な部品が縁として集まって車と認識できます。一つの部品を見て「車」であると思う人はいないでしょう。ですから「車」が有ると思い込んでいますが、結局はパーツの集合体であって、「車」そのものの実体はないのです。この「車が有る」と思い込んでいるだけで実は実体がない、というのが「空」の思想です。この例だけではなく、基本的に私たちは、何かについて“このようにあるものだ”とか“こうあるべきだ”と考えてしまい、この先入観で苦しみを生み出します。まさに「無縄自縛」の状態で、「無い」ものを「有る」と思うから苦しむわけです。常識にとらわれず、何かに固執せず、ものごとをありのままに観ることができれば、苦しみから解放されると『般若心経』は教えてくださっているのです。  合掌

 

先月開催のフラワーアレンジメント教室の様子

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年4月より)

・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

3月のお便り

今月の言葉

「努力つとめて迷まよいを翻ひるがえして、本家に還かえれ」

善導大師ぜんどうだいし(『往生礼讃おうじょうらいさん』)

 

【解釈:“自分自身や事物に執着する心”、“あれこれと人や物を比べる差別の心”といった迷いの心をひるがえして、自身の本来の心である「清浄しょうじょうな心」に還りなさい。】

「福田寺だより」平成31年3月第58号(PDFファイル)

 

“本来の心”

厳しい寒さも随分と和らいできました。鳥のさえずりが春の到来を知らせているかのようです。今年の春のお彼岸は3月18日~24日(21日が中日)までの期間です。まもなく新年度、お彼岸は“仏教実践習慣”という意味合いもあり、自らを見つめ直す良い機会かもしれません。

唐の善導大師の『往生礼讃』に「努力めて迷を翻して、本家に還れ」という一節があります。ここでいう迷いとは、“自分自身や事物に執着する心”、“あれこれと人や物を比べる差別の心”のことです。このような迷いの心をひるがえして、自身の本来の心である「清浄な心」に還るようにと説かれたのです。

仏教では私たちには等しく仏の種が植わっており、心の根源は清浄であるとされています。しかし、私たちの迷える心をもって、私たちの本来の心、清浄心に気づくことは果たしてできるのでしょうか。凡夫である私たちには叶うものではありません。

そこで善導大師や宗祖一遍上人が勧められているのが称名念仏です。名号みょうごう「南無阿弥陀仏」という絶対的な存在に心身をお任せ、本来の心を観みる道を説かれました。名号とは物事の真理を映し出す“鏡”のようなものだからです。

この名号の姿を一遍上人は「水が水を飲み、火が火を焼くようであり、また、松は松、竹は竹であるように、他の何物にもとらわれず、それ自身がそれであるという在り方で、生も死もない」と表現されています。阿弥陀仏の本願に帰依さえすれば、生死しょうじの海にさまよう私たちも、生死のない自己本来の在り方に帰ることができるのです。

さて、少し小難しくなったので詩を一つ引用させていただきます。

「アナタの主人公はアナタなんだよなあ」 (相田みつを)

自分や他者をありのままに見ることが重要であると気づかせてくれる詩であると思います。お念仏、そして先祖様に改めて感謝し、スッとした気持ちで新年度を迎えることができれば、最上のお彼岸ではないでしょうか。

合掌

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月13日11時30分…副住職結婚式

・4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

・5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

12月のお便り

今月の言葉

「一向に称名し  善悪を説かず  善悪を行ぜず」

『一遍上人語録』

 

【一遍上人のおこころ:私たちは、比較でモノの価値をはかる相対の世界に生きているので、心は常に定まっておらず、善悪・正しさの判断もままならないものである。よって人の行為について善であるとか悪であるか決めつけるのではなく、仏様の教えに照らし合わせ、自らを省みることが 肝要である。】

「福田寺だより」平成30年12月第55号(PDFファイル)

 

“中道の姿”

一年はあっという間で、年の瀬もいよいよ押し迫ってきました。皆様がよいお年を迎えられるよう祈念申し上げます。

さて、お釈迦様の誕生日を祝う 4 月 8 日の「降誕会ごうたんえ」、ご命日を偲ぶ2 月 15 日の「涅槃会」を以前ご紹介しましたが、仏教の三大法会としてはもう一つ「成道会じょうどうえ」という行事があります。毎年 12 月 8 日がその日に当たり、「成道」=お釈迦様がさとりを開かれた日を記念して法要が行われます。

お釈迦様がさとりを得られたのは 35 歳のとき、6年間に及ぶ苦行(断食など)が正しい道ではないと気づかれたのがきっかけでした。苦行を離れ静かに菩提樹の下で瞑想にふけり、ついに世界の真理をさとら れました。

さとりの内容は諸説ありますが、「縁起」と「中道」がその核心であるといえます。縁起とは“すべての存在は互いに影響しあっている”、 “物事の結果には必ず原因がある”という真理です。
中道とは一般的に“縁起を知り、物事の両極端に偏らない”と解され、 「八正道」という 8 つの正しい方法を実践すれば中道を体現できると されています。しかし実際のところ、私たちは日常生活に追われ、煩悩 に振り回され八正道どころではありません。出家であれ在家であれ仏教徒には様々な生活規範がありますが、それを守りようがないのも現実です。また、そのような私たちに“正しさ”を判断することができるでしょうか。一遍上人は「善悪は説かず」とおっしゃいます。そうとは言え、 仏法をないがしろにして利己主義に陥れば、共生の道は閉ざされ、人類の存続すら危ういことは明白です。

だからこそ「中道」が大事なのだと思います。それは仏様の教えを実践しようと心に留めておくことです。実際には先ほど申したように、努力をしても教えを完璧に守ることは難しいでしょう。厳格に守ることに固執するのではなく、「仏様の世界」と「世俗の世界」、この二つの世界は違うけれどもかけ離れていないのだと理解し、生きる姿が中道ではないかと思います。

有難いことに、折に触れてお檀家様から「毎月、お便りを楽しみにしています」「月に1度仏教に触れることができて勉強になる」とおっしゃっていただけます。何よりも励ましになりますし、その仏教に臨む姿こそが「中道」を実践されているようにも感じられます。

合掌