カテゴリー: 豆知識

7月のお便り(令和4年)

【今月の掲示板】

「願いが正しければ 時至れば必ず成就する」 徳川家康

 

“七難七福”

7月に入る前に梅雨が明けてしまいました(観測史上最速)。さらに連日気温が35度前後と酷暑が続いています。熱中症も注意しなければならないので、参拝やお墓参りの際もご無理のないようにお気を付けください。

さて7月7日は七夕の日ですね。七夕は中国の節句の行事や星伝説が、日本の信仰や仏教と混ざり定着した行事です。仏教との関りは意外かと思われるかもしれませんが、七夕の「たなばた」という読み方は、お盆に祖霊を迎え入れるための仏具である精霊棚しょうりょうだなはたが由来だという説もあります。また、すでに江戸時代には願いごとを短冊に書いて笹に吊るすという慣習があったそうです。これも織女星に裁縫上達の願いごとをするという中国の風習が日本風にアレンジされたようです。

願いや祈りは、お寺では祈願や祈祷と呼ばれます。『仁王経にんのうきょう』というお経は、護国祈願のためのお経で、このお経を読めば「七難即滅 しちなんそくめつ 七福即生しちふくそくしょう(七難が滅して、七福が生じる)」と説かれています。七難とは太陽の異変・星の異変・火難・水難・風害・干害・盗難であり、これらが消滅すれば七福が生じるのです。実はこの七福が「七福神」の由来とされています。七福神は、それぞれ福徳を持ち合わせています。

恵比寿…度量の大きさ、清廉、正直さ

大黒天…豊作、財富

福禄寿…人望の厚さ

毘沙門天…勇気や威光

布袋…福運、家庭円満

寿老人…長寿、病気平癒

弁財天…財運、芸事の上達

この七福神を世に広めたのは徳川家康の側近の天海大僧正だと言われています。天下泰平を成し遂げた家康公がこの7つの福徳を備えていると示しました。

七福神巡りもこの福徳にあやかってお参りするわけですが、ただ神様に願うだけではなく、自ら目標に向かって努力することが大切です。一人一人が努力して少しでも福徳を備えることができれば、世の中はより良いものとなるのではないでしょうか。

合掌

 

令和4年月7限定御朱印(片袖の弥陀・300円)

当山の御本尊である阿弥陀如来像は、右袖が垂れていないので「片袖の弥陀」とも言われます。
今月は、アサガオをモチーフにしてます。

 

令和4年7月限定御朱印(七福即生・800円)

七難即滅 七福即生(七難が滅し七福が生じる)は護国祈願の経典である『仁王経』の一節です。七夕の願い事にかけて祈願の言葉を選びました。

 

令和4年7月限定御朱印(夏めく・宗尊親王和歌、薄紫色柄付き和紙、見開き書置き800円)

「宗尊親王和歌シリーズ」です。親王像の絵は御奉納いただいたものを参考にしています。宗尊親王は当山の開基(創建者)です。史上初の皇族将軍として鎌倉幕府6代将軍に就き、その後更迭されるなど波乱に満ちたご生涯を過ごされました。和歌に非常に長けられ多くの作品を残されました。

「昨日こそ 花も散りしか いとはやも 木ずゑの夏に なりにけるかな
(解釈:つい昨日まで咲いていた花も散ってしまったと思ったら、もうあの梢に葉が茂る夏になったのだなあ)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり7 月)

祇園祭の駒形提灯、七夕飾りを見る猫です。
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

 

 

【7月の写経会は23(土)です(8月は中止します)】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和4年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月9日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

10月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

実るほど頭を垂れる稲穂かな

福田寺だより(10月 89号)

“仏法をまとう”

 

お寺ではお盆、お彼岸と大きな行事が無事に終わりました。コロナ禍で何もかもが通常通りとはいきませんが、その中でも出来ることを模索していきたいと思います。

さて少し前の事ではありますが、通っている書道教室で初めて条幅の作品を書かせていただきました。せっかくなのでお経の言葉を書きたいと思い「袈裟被着偈」と呼ばれる20文字の偈文を選びました。次のような文言です。

大哉解脱服だいさいげだっぷく 無相福田衣むそうふくでんね 被奉如戒行ひぶにょかきぎょう 廣度諸衆生こうどしょしゅじょう

意訳すると「大いなるかな、解脱へと導く服よ、姿形にとらわれない悟りを実らせる福田に例えられる衣よ。謹んでこの衣(袈裟)を身に着け、仏法に従い持戒と修行に努め、広く衆生を悟りへと導こう。」となります。

これは福田衣(袈裟)の威徳を称えた偈文で、私たち僧侶は法会の前や袈裟を身に着ける際にこの偈文をお唱えします。お分かりの通りここに出てくる「福田」は当山、福田寺に冠せられる言葉でもあります。以前、お便りの中で福田寺の由来について書かせていただいたとき、「福田」とは“福が実る田んぼである”とお話させていただきました。水田に良い種がまかれれば良い稲穂が実るように、人間も善い行いをすれば福徳が実るというお釈迦様の教えです。

袈裟を見ていただくと、たくさんの布が縫い合わされたような形をしているのが分かるかと思います。全体を見れば田んぼのように見えてきます。お釈迦様は先ほどの福徳が実る教えをこの袈裟に表されたのです。言い換えればこの福田衣(袈裟)はお釈迦様の教え(仏法)そのものとである言うことができます。ですから袈裟は仏教では非常に大切なものとして扱われます。私が初めて本山に修行に行ったときは袈裟も法衣も何が何だか分からない状態でしたので、つい袈裟を直接畳に置いてしまい大変怒られました(お経の本も畳に直置きすることはいけません)。また、歩きながら袈裟をつけること、お手洗いで外さないこともご法度です。衣をまとっているというよりは仏法をまとっているような心構えをしなければいけません。一遍上人も“袈裟は「対(なら)ぶもの無き仏法を信じる心」を表している”と説かれました。

在家の方用には輪袈裟などの袈裟もありますので、お持ちであれば仏様のように大切にしていただき、ご法要の際など積極的に着用してみてはいかがでしょうか。

合掌

 

・10月限定御朱印(菊日和・300円)

菊が咲く頃の秋の気持ちの良い天気を指す季語です。

 

・令和3年10月限定御朱印(豊楽・700円)

夕焼けと稲穂をイメージしています。
豊楽は「人々が豊かに楽しく暮らしている様子」という意味です。「ほうらく」とも「ぶらく」とも読みます。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」-優れた人ほど謙虚であるという例えです。

 

令和3年10月限定御朱印(実りの秋、柄付き和紙、見開き書置き800円)

黄土色のキラキラした和紙です。
葡萄と栗の消しゴムはんこに宗尊親王の和歌を書いています。
「世をおさめ 民をたすくる 心こそ やがてみのりの誠なりけれ」
〈(皇族将軍として)世の中を正しく治め、人々の暮らしを豊かにしようとする心こそが、仏法の真実なのであるなあ〉
この歌での「みのり」は「御法」と書きますが、秋の「実り」とかけて選ばせていただきました。

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり10月)

芋掘りするリスと赤とんぼ、夕日を押しています。
阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

【次回の写経会は10月23日です(緊急事態宣言が京都府下に出ている場合は中止)】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

7月のお便り

 

“祇園の守護神”

記録的な梅雨入りの遅れ、令和初の台風というニュースがあり、今後の気象予報も気になるところです。

さて、これからの季節はお祭り、京都では特に祇園祭の季節というイメージが強いのではない でしょうか。祇園祭は八坂神社の祭礼として知られ、9世紀より続く日本を代表するお祭りです。 祇園という名称はもともと神仏習合の時代に八坂神社が祇園社と呼ばれていたことによります。もっとも 、7 世紀の創建より、明治の神仏分離までの長きにわたり、仏教の守護神である牛頭天王を祀っていたことは特筆すべきことかと思います。牛頭天王が守護する場所が祇園精舎だったので、八坂神社は祇園社と呼ばれていたというわけです。現在中心としてお祀りされているのは素戔嗚尊(スサノオノミコト)ですが、実は日本では古来、牛頭天王と素戔嗚尊は同神であると考
えられていました。
この祇園精舎は『平家物語』の冒頭に出てくる言葉としてご存知ではないでしょうか。

“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。・・・”

正式名称は「祇樹給孤独園精舎」といい、お釈迦様在世の頃、インドに実際に存在しました。 精舎とは寺院の原形のようなもので、お釈迦様をはじめとする修行僧が雨季などに籠る道場とし て使用されました。お釈迦様はインドの大地を歩き回って教えを説かれたことは知られています が、雨季に多く現れる虫や植物を間違って踏み殺すことがないように、この期間だけは建物内で修行するということがありました。これを「雨安居」と呼びます。
「祇樹給孤独園精舎」の名前の由来は、「ジェータ(祇陀)太子」と「スダッタ」という 2 人の人物です。スダッタは身寄りのない人々に施しをする長者という意味で「給孤独の長者」と呼 ばれていました。ある時、スダッタはお釈迦様の教団の雨安居に必要な精舎を寄進するために、 ジェータ太子の所有する土地を譲ってもらおうと願い出ました。しかし、ジェータ太子は譲る気 がなかったので、「もし黄金を土地に敷き詰められたら譲ってもよい」と戯れで言いました。す るとスダッタは私財をなげうち、本当に黄金を敷き詰め始めたのです。広大な土地のあとわずかというところで黄金は尽きてしまいますが、熱意に心打たれたジェータ太子は土地を譲り、自ら も樹木を寄進するなど精舎の建設を援助したということです。ついに、この精舎は2人の名前を 冠し、ジェータの樹林(祇樹)と、スダッタ(給孤独長者)の僧園、「祇樹給孤独園精舎」とし てお釈迦様に寄進されました。

現在、インドに当時の祇園精舎の姿はありませんが、歴史公園として保存され、仏塔や僧院なども建築されています。日本にも祇園神社や祇園寺が全国各地にあり、また地名としても祇園の名は多く残っています。
2500年前の精舎建設をめぐる出来事が、遠い日本の祭礼と繋がっていて、今も多くの人々に親しまれていることは何とも不思議なことではないでしょうか。

合掌

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り

 

「福田寺だより」令和元年5月第60号(PDFファイル)

 

“今年は2562年?”

いよいよ令和の時代の始まりとなりました。世間の空気感は具体的なものではありませんが、何かを期待する様子ではないでしょうか。それだけ日本には平和の裏に隠れた課題も多いということでしょう。

また「時宗」にとっても令和元年は特別な「二祖真教上人七百年御遠忌」厳修の年でもあります。時宗教団確立の功労者である他阿真教上人のご功績を知ることで、さらに念仏信仰を深めていただければ何よりです。

さて、元号を使う和暦やイエス・キリストの生誕日をもとにした西暦のほかに、「仏暦(仏滅紀元)」があるというのをご存知でしょうか。その名前の通り、仏教としての暦であり、お釈迦様の亡くなられた年を基準に作られています。西暦と違って仏暦が亡くなった年を基準とするのは、仏教では死は忌み嫌うものではなく、“必ずやってくるもの”と捉えるためです。とりわけ、お釈迦様の場合は死をもって完全な涅槃(さとりの世界)に入ったとも考えられています。

お釈迦様の亡くなられた年といっても確定ではなく、さまざまな説があります。仏暦を使用している東南アジアの国でも、ミャンマーやスリランカでは入滅の年を紀元前544年、その年を仏暦元年としているのに対し、タイやカンボジアでは、入滅の翌年、紀元前543年を仏暦元年としています。インドのゼロの概念を考えれば入滅の年が仏暦0年なのでしょうか。日本にも数え年、満年齢という考え方があるので似たようなものなのかとも思います。

インドから東南アジアへ伝わった仏教は南伝仏教といわれ、中国、朝鮮半島、日本へ伝わった北伝仏教とは少し毛色が違います。お釈迦様が亡くなられて約百年後に、教団内で戒律をめぐって軋轢が生じ、保守系の上座部と革新的な大衆部の2つの部派に分かれてしまったからです。これは根本分裂と呼ばれ、簡単に言ってしまえば、南伝(上座部系)と北伝(大衆部系)はその時の2つの流れを汲んでいるといえます。大衆部の起こりは、大乗仏教というさらに大きな革新を生み、中国、日本と思想が開花し、今日に至っています。ちなみに北伝仏教ではお釈迦様の生没年を紀元前566年~紀元前486年や紀元前463年~紀元前383年とする説などがあります。

暦の話に戻ると、日本でも全日本仏教会は1994年に世界的に普及しているタイの仏暦を使用し始めました。ですから、今年2019年は仏暦2562年ということになります。西暦から仏暦の年数変換は簡単で、西暦にプラス543年すればよいだけ。覚えかたは543(こよみ)です。仏教徒として覚えておいて損はないのではないでしょうか。

 合掌

「踊り念仏」

先月28日(日)、京都国立博物館にて講演「時宗の声明と踊躍念仏」が行われました。なんと、整理券配布の2時間前から行列ができ、200名の定員はあっという間に埋まってしまいました。私も、まずそんな事態になるとは思っていなかったので、当日見に来られて、整理券を受け取れなかったお檀家様には大変申し訳ない思いです。「朝日新聞デジタル」に動画が配信されていますのでご覧いただける方はぜひどうぞ。踊りというよりは、能のような静かな足踏みが中心です。一遍上人の和讃と合わせて独特の世界が演出されています。

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日11時30分…副住職結婚式

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

11月のお便り

今月の言葉

もっぱら慈悲心をおこして 他人のうれいを忘れることなかれ」

一遍上人『一遍上人語録』

 

【一遍上人のおこころ:慈悲の心(他人の苦しみを和らげ、福楽を与える心)を常に持ちなさい。他人の悲哀の気持ちを理解して、忘れてはならない。】

「福田寺だより」平成30年11月 第54号(PDFファイル)

 

“お砂持ち”

 

朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。もう冬の足音が聞こえているようです。

先月14日に福井県敦賀市氣比けひ神宮において時宗青年会主催の「全国大会」という法要が行われました。本法要は2年に一度、全国の有縁の寺社で営まれ、総本山遊行寺より遊行ゆぎょう上人一行を拝請します。私も全国青年会の現執行部に所属しており、迎える側として氣比神宮を訪れました。

全国大会の様子

今回氣比神宮が大会の会場に選ばれたのには理由があります。それは二祖真教上人七百年御遠忌との関連です。真教上人は福井県を重要な布教の地として何度も訪問されており、この氣比神宮では、人々を難渋させていたぬかるんだ参道を、自ら土砂を運び整備されたという逸話が残っています。現在でも遊行上人が法灯を相続されるとき必ず氣比神宮で「遊行のお砂持ち」の神事が行われることからもその関係の深さがうかがえます。

この氣比神宮には松尾芭蕉も訪れており、真教上人の逸話を聞き次の和歌を残しています。

月清し 遊行のもてる 砂の上

(遊行上人が運んだという砂に月明かりがきらめき清々しい)

 真教上人をはじめとする時衆が砂浜を運び整備し始めると、周囲の人々もこぞって集まり、身分・職業を問わずこの一大事業に臨んだと『遊行上人縁起絵』には書かれています。これは現代でいうところのボランティア活動といえるかもしれません。しかも、整地だけではなく神社内を清掃し、砂や玉石を敷き詰めたことで境内が鏡のように輝いたと伝えられています。芭蕉が詠んだ「清し」という言葉は「清々しく美しい」という意味のほかに「神聖である」という意味もあります。

聖地を守った人々の努力の結晶は、700年以上たった今もなお輝いているのです。

合掌

(副住職:髙垣浩然)

遊行上人一行