今月の言葉
「専ら慈悲心を発して 他人の愁いを忘れることなかれ」
一遍上人『一遍上人語録』
【一遍上人のおこころ:慈悲の心(他人の苦しみを和らげ、福楽を与える心)を常に持ちなさい。他人の悲哀の気持ちを理解して、忘れてはならない。】
「福田寺だより」平成30年11月 第54号(PDFファイル)
“お砂持ち”
朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。もう冬の足音が聞こえているようです。
先月14日に福井県敦賀市氣比神宮において時宗青年会主催の「全国大会」という法要が行われました。本法要は2年に一度、全国の有縁の寺社で営まれ、総本山遊行寺より遊行上人一行を拝請します。私も全国青年会の現執行部に所属しており、迎える側として氣比神宮を訪れました。
今回氣比神宮が大会の会場に選ばれたのには理由があります。それは二祖真教上人七百年御遠忌との関連です。真教上人は福井県を重要な布教の地として何度も訪問されており、この氣比神宮では、人々を難渋させていたぬかるんだ参道を、自ら土砂を運び整備されたという逸話が残っています。現在でも遊行上人が法灯を相続されるとき必ず氣比神宮で「遊行のお砂持ち」の神事が行われることからもその関係の深さがうかがえます。
この氣比神宮には松尾芭蕉も訪れており、真教上人の逸話を聞き次の和歌を残しています。
月清し 遊行のもてる 砂の上
(遊行上人が運んだという砂に月明かりがきらめき清々しい)
真教上人をはじめとする時衆が砂浜を運び整備し始めると、周囲の人々もこぞって集まり、身分・職業を問わずこの一大事業に臨んだと『遊行上人縁起絵』には書かれています。これは現代でいうところのボランティア活動といえるかもしれません。しかも、整地だけではなく神社内を清掃し、砂や玉石を敷き詰めたことで境内が鏡のように輝いたと伝えられています。芭蕉が詠んだ「清し」という言葉は「清々しく美しい」という意味のほかに「神聖である」という意味もあります。
聖地を守った人々の努力の結晶は、700年以上たった今もなお輝いているのです。
合掌
(副住職:髙垣浩然)