9月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

「福田寺だより」9月 76号(PDF)

 

“お布施のはなし”

今年のお盆は新型コロナウイルスの対策のためマスクをして棚経を回りました。また、棚経やお墓参りを遠慮して、本堂での回向をお願いしますとおっしゃる方も少なくなく、まさに特別な夏というものを感じました。一刻も早い終息を願うばかりですが、このような事態に際し私たちも正しく恐れ、正しく行動しなければなりません。仏教でいう「中道ちゅうどう」の実践です。

お釈迦様は“琴の弦”にたとえて次のように中道を説明されました。根を詰めて激しい修行するも結果が得られず、焦っている修行僧に対し、

「琴は弦を張りすぎても緩めすぎてもよい音はならない。修行も同じことだ」と説かれたのです。

中道とは片一方に偏らず、両極端の調和を目指す姿勢だと考えられます。話を戻すと、今現在大切なことはウイルスへの警戒感をもって行動し、しかしそこに執着しないようにするということでしょう(執着は他人への批判ばかりに目がいったり、罹患者への差別に繋がったりしかねません)。

さて、今月は例年の通り秋の彼岸施餓鬼会を行います。このような状況ですから是非本堂におあがりくださいとは申せませんが、ご先祖様や生きとし生けるもの全てへの供養を行う大事な法要であることは変わりありません。この彼岸とは“あちらの世界”、つまり覚りの世界をいいます。浄土のご先祖様に思いをはせつつ、自らも修行として「六波羅蜜ろくはらみつ」の実践を心掛けるのがお彼岸の意義と言えましょう。

去年のお彼岸のお便りに六波羅蜜のひとつである「忍辱にんにく(自らのために耐え忍ぶこと)」について書かせていただきました。今回は「布施」をご紹介します。布施は六波羅蜜のうち最も重要とされる修行です。どうしても「お布施」が思い浮かび、お寺や僧侶に渡すお金のことかと思われるかもしれませんが、実はそうではありません。

布施はインドの言葉で「ダーナ」といい、意味は“施し与えること”です。漢字では「檀那」と当てられます(ここから関連して菩提寺へ布施する家を檀家と呼びます)。具体的には「金品を施すこと(財施)」「仏様の教えを説くこと(法施)」「災難に遭った人の恐怖心を取り除くこと(無畏施)」が挙げられます。

また「無財の七施(しちせ)」という教えもあり、他者に対しての「優しいまなざし」や「笑顔」、「柔らかな言葉遣い」「座る場所を譲ること」なども布施の一つとして説かれています。そして、ここで大切なことは施しや親切に“見返りを求めない”ということです。「自分が何かをしてあげた、親切にしてあげたから見返りが少しはあるだろう」と考えるのは布施ではありません。させていただいたことに感謝するのが道理で、何か返してくれというのは自分勝手ではないでしょうか。

お釈迦様は“誰に、何を施したか”を忘れなさい、さらに自分が布施したということも忘れなさい、とおっしゃっています。布施という善行は、一つから雪だるま式に10倍、100倍、1000倍の功徳が生まれるといわれますから、相手にこだわる必要はないのです。布施する人、される人、共に感謝の心を持つことが大事と言えましょう。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:9月26日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

9月限定御朱印(300円)


年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

御朱印の対応日について

最近御朱印の直書き対応日に関する問い合わせが増えていることもあり、直書きの対応可能な日を下に示させていただきます。

また対応日に限りましては本堂内の拝観も可能となりますので併せてご参拝いただければと思います。

対応日以外は基本的に書き置きですが、書き手がいれば直書きいたします。

9月の御朱印直書き、本堂参拝対応日

2.6.12.13.19.27日(午前9時〜11時半)

6.18.19日(午後1時〜4時)

*急務により対応日が変更することもございます。ご了承ください。

8月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

「福田寺だより」8月 75号(PDF)

 

多聞たもん第一の阿難あなん尊者”

7月初めより断続的に続いた豪雨は熊本県を中心に九州・中部地方など広範囲にわたり甚大な被害をもたらしました。被災された方々に心よりお悔み並びにお見舞い申し上げますとともに、早期復興を祈念いたします。

さて、前回はお釈迦様の十大弟子ということで、智慧第一の舎利弗尊者をご紹介しましたが、今回は阿難(アーナンダ)尊者をご紹介させていただきます。実は、諸説ありますがお釈迦様とは従弟という関係だと伝わります。お釈迦様と同じく王子の身分でしたが、仏門に入り、お釈迦様が亡くなるまでの25年間常にそばに仕え、教えを最もよく聞いて覚えていたので「多聞第一」と称されます。当時、教えを書いて残すことはなく、口伝で伝えられたので、“よく聞いて覚える”ということが大変重要だったのです。

阿難尊者はかなりの美男子で、女難に遭うということもしばしばあったそうですが、修行には実直で、情にも厚かったようです。ある時、お釈迦様の養母であるマハーパジャーパティ夫人をはじめとする女性たちが出家を申し出たところ、お釈迦様は男性集団の中に女性が入ることを案じられ、入門を断られました。諦めきれない彼女たちに、阿難尊者が助太刀して、大変な熱意でお釈迦様を何とか説得したといいます。ここに初めて女性の出家修行者(比丘尼)が誕生したのです。

また、阿難尊者の多聞第一の才能はお釈迦様が亡くなった後の教団の発展に大きく寄与しました。お釈迦様の入滅後に初めて弟子たちによる大規模な集会(結集ルビといいます)が行われた際、最も教えをよく聞いて覚えていた阿難尊者が他の弟子たちの前でお釈迦様の教説を話し、それを確認し合い、皆でともに唱えました。「結集」には「ともに唱えること」という意味があり、「合誦ごうじゅ」とも訳されます。これこそ今日、私たちがお唱えする「お経」の始まりなのです。お経の冒頭は多くが「如是我聞にょぜがもん(このように私は聞いた)」から始まりますが、この「私」とは本来は阿難尊者のことということになります。

阿難尊者は入門後もなかなか覚りを開けず、ついにお釈迦様の入滅にも間に合いませんでした。しかし、諦めることなく、結集を前にして発奮しついに覚りを得たということです。教えを常に聞いて、心に留めていた結果ではないでしょうか。

時々「お経は何のために唱えるのですか」と聞かれることがありますが、その理由の一つは、“教えを忘れないようにするため”だと思います。阿難尊者のようにすべて覚えることは叶いませんので、少しでも“復習する”ことが大切ではないでしょうか。「お経は聞いていても意味は分からないけど、有難い気がする」という方も、そこから一歩、「教えの意味に触れたい」と思っていただければ誠に有難いです。

合掌

 

 

~写経会のご報告~

先月25日の写経会には7名のご参加がありました。足元の悪い中お参りいただき有難うございました。初開催でバタバタしましたが、今後に向けてよりよいものを目指していきたいと思います。どうぞお気軽にご参加ください。

【次回の開催予定:8月22日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 


年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

7月のお便り(令和2年)

今月の言葉

舎利弗しゃりほつの仏の光明は無量にして十方の国を照らすに、障碍しょうげする所無し。是の故に号して阿弥陀と為す。」

〈【意訳】(お釈迦様が阿弥陀仏の説明をして)舎利弗よ、かの仏の光明は無量であり、十方の国を照らすに障害となるものはない。それ故にかの仏の名を阿弥陀(サンスクリット語のアミターバの漢訳。無量の光を意味する)という。〉

「福田寺だより」7月 74号(PDF)

 

“智慧第一の舎利弗しゃりほつ尊者”

気温、湿度共に高くなって参りました。今年はマスク必須の夏を迎えそうですが、熱中症には十分ご注意ください。

今月はお釈迦様の十大弟子の一人、舎利弗(シャーリプトラ)尊者をご紹介させていただきます。十大弟子とはお釈迦様の弟子たちの中で主要な10人を指します。その中でも舎利弗尊者は、筆頭の存在で、同期入門の目連もくれん尊者と並び二大弟子とも言われます。
十大弟子にはそれぞれ特に優れた一面から「〇〇第一」という尊称がつけられており、舎利弗尊者は「智慧第一」と称されました。先月のお便りでも申し上げましたが、この「智慧」とは知識のことではなく、物事の道理や特性を見抜く力のことを言います。

実は舎利弗尊者は、お釈迦様と出会うまでは目連尊者と共にサンジャヤという人物の高弟でした。お釈迦様の弟子から教えを聞き、すぐに250人の修行者を連れて入門しました。まもなく覚りを開くと教団の指導的役割を担ったといいます。仏教ではお釈迦様と同様に覚りを開いた人を阿羅漢あらかんと呼びます。

さて、舎利弗尊者を知らなかったという方もおられると思いますが、実は多くの方がお名前を耳にしているはずです。様々な経典の中で、仏様との対話相手として智慧の優れた舎利弗尊者が登場するからです。
例えば、『阿弥陀経』には、短いお経の中に「舎利弗よ」という呼びかけが36回も出てきます。
また、『般若心経』の冒頭に出てくる「舎利子しゃりし」という語も舎利弗尊者のことです(インドの言葉を翻訳するときに、訳者によって違う漢字があてられることも多くあります)。

ところで、お釈迦様の後継者とも目されていた舎利弗尊者ですが、それを果たすことはありませんでした。晩年に重い病気を抱えていた舎利弗尊者はお釈迦様にいとまごいし、数十年ぶりに母の元へ帰郷しました。そこで母に仏教を説くと大いに喜ばれましたが、にわかに体調を崩し、母に見守られながら息を引き取りました。
お釈迦様の悲しみは大変深いものでしたが、他の弟子に対して、“この世に変化しないものはない”という「無常」の真理を覚ること、悲しみを乗り越えて自らの歩みを止めないことを説かれました。

合掌

 

~写経会のご案内~

*新型ウイルスの影響で開催を見合わせていましたが7月から開始させていただきます。

開催日 : 毎月 第4土曜日(7月25日、予約不要)

時 間 : 午後2時~5時(お勤めを2時から行いますが、時間内にいつ来ていただいても構いません。解散は各々自由です。)

持ち物 : 小筆(購入も可能です・貸出用もあります)

志納金 : 1,000円

*詳細はお問合せ下さい

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

6月のお便り(令和2年)

今月の言葉

しりてしらざれ、かえり愚痴ぐちなれ」

〈(意訳)知識を得ても知識にこだわらず、知恵がついてもおごり高ぶることがないようにしなさい。〉

「福田寺だより」6月 73号(PDF)

 

“知恵と智恵”

緊急事態宣言が全面解除され、少しずつですが日常を取り戻しつつあります。しかしながら油断大敵です。外出の際はこれまで通り、手洗い、うがい、消毒などの徹底を心掛けたいものです。

コロナ禍において多くの人々が苦しめられています。かつてお釈迦様はこの世を「一切皆苦」と表されました。この苦というものは、新型ウイルスによって突然もたらされたのではなく、何気ない日常に潜み、隙あらば私たちに襲い掛かるのです。苦の代表ともいえるものが「生・老・病・死」で四苦と呼ばれます。生を繋ぎながら死に向かう、その道々で苦に出会います。お釈迦様はまずこの四苦を克服することを願い修行を始められたといいます。

誰しもに平等にやってくるこの苦には原因があります。それは、“求めても自分の思い通りにならない”ことです。四苦だけでなくありとあらゆる苦しみに当てはまります。「なぜ欲しいものが手に入らないのか」「どうして自分だけがこんな目に合うのか」、自分や自分の所有物に固執するとこのように考えてしまいがちです。さらに、弱っているときほど周りが順風満帆に見えて、さらに苦しむという悪循環を起こしてしまいます。どのように苦と向き合えばいいのでしょうか。

私たちは生きる中で言葉と共に多くの知識を得ます。これは実生活では大変役に立ちますが、多くの知識を得て自分の中の常識ができてくると、「〇〇はこういうものだ」、「〇〇はこうすべきだ」といったように、それらに縛られてしまうことがあります。ここにこだわりが生まれ、思い通りにならず苦の原因となるのです。だからこそ仏教では非常識こそが大事なのではないかと思います。なにも顰蹙ひんしゅくを買うような言動をすべきというのではなく、ものごとの両面を考えるということです。常識が表とすれば、非常識は裏、表裏一体ですからどちらも大事です。総本山の他阿真円上人は100歳であられますが、「もう90歳ではない、まだ90歳だ」とよく仰っていました。

かつて伊予国(愛媛県)に仏阿弥陀仏という尼僧がおられました。この尼僧は、習わずとも仏法の要点を自然と語ることができ、常の心得として「しりてしらざれ、かえりて愚痴なれ」と言われたそうです。宗祖一遍上人はこの姿勢を「浄土教の教えにかなっている」と仰いました。まさに“知恵”(知識から来る心)を超えた“智恵”(ものごとをありのままに観る心)ではないかと思います。常に心に留めておきたいものです。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り(令和2年)

今月の言葉

「仏も衆生しゅじょうへだてなく 彼此ひし三業捨離さんごうしゃりせねば 無礙光仏むげこうぶつもうすなり」

〈念仏を唱えるとき、仏様と人との隔たりは無くなり、両者の行為は和合する。阿弥陀仏の別名を無礙光仏(隔たりがない仏)というのはこの由縁である。〉

「福田寺だより」5月 72号(PDF)

 

“ 3密と三業さんごう

緊急事態宣言から1か月が経とうとしておりますが、まだまだ先行きが見えない状況です。「ステイホーム」(お家で過ごそう)を合言葉に全国的に3密(密閉空間、密集場所、密接場面)の回避、外出自粛が求められています。皆様不安な日々を過ごされているかと思いますが、このような時こそ仏道に基づいて、正しく冷静な行動を心掛けたいものです。

さて、最近よく耳にするこの「三密」という言葉は、真言密教では「身密・口密・意密」の三密を指します。
また、仏教には似た言葉に「三業さんごう」があります。私たちではこちらの三業という言葉をよく使います。「業」は「行為」という意味があり、私たちの行為は大きく3つに分けることができます。
身体を使った行動の「身業しんごう」、口からでる言葉による「口業くごう」、心の活動である「意業いごう」、この身口意による行為が「三業」と呼ばれます。

唐の善導大師は『観無量寿経疏』の中で、
「衆生、行を起して口常に仏を称すれば、仏すなわちこれを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわちこれを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわちこれを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまう。彼此の三業相い捨離せず」と説かれています。
身口意の順番は違いますが、口には念仏、身は礼拝や合掌、心には阿弥陀様を念じるという私たち念仏者の在り方、そして同時に仏様も私たちの身口意の三業に応じてくださるということが示されています。私たちが阿弥陀様を常に想い続ければ、阿弥陀様も私たちを想い続けてくださいます。ご先祖様もきっとそうでしょう。私たちが忘れずに想えば、ご先祖様も忘れずに想ってくださるはずです。

ところで、「自業自得」とあるように自らの業(行為)は自らへと返ってくるのが鉄則です。しかし、お釈迦様がいらっしゃった時代、このような考え方とは異なる思想もありました。例えば、現世の運命は過去世の行いによって決まる、または神によって決められているという運命論・宿命論的な考え方。悪行や善行をしても意味はなくその報いを受けることはないと考える道徳否定論。お釈迦様はこういった考え方を否定し、あくまで「因果応報」、行為とその結果を重視されました。

現在、新型肺炎により世の中はパニック状態です。こういう時こそ人間の弱い部分は現れやすく、差別的な言動が横行してしまいます。自らの言動に責任を持ち、その行為が自らに返ってくるものと自覚することが肝要であると言えましょう。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

インスタグラム開設

この度、SNSのInstagram(インスタグラム)のアカウントを開設しました。

Facebookとあわせまして、お寺の情報などを発信できればと思っております。(インスタグラムはより気軽な投稿が多いです)

ぜひ、こちらからフォローしてみてください!

4月のお便り(令和2年)

*新型コロナウイルスの影響を考慮し、4月からの写経会は延期させていただきます

今後の予定に関してはお便りやホームページなどでお知らせさせていただきます。

また、「京都時宗寺院の御朱印巡り」もチラシ・御朱印帳・満願証の制作などが進んではおりましたが、現況に鑑み、開始が延期になりました。

今月の言葉

もう利他りた

(自分自身のことを忘れ、他者の利益のために尽くすこと、それが最上の慈悲である)

「福田寺だより」4月 71号(PDF)

 

“ 共に乗り越えましょう”

コロナウイルスによる新型肺炎の脅威が増しております。3月27日現在、感染者数は日本で2,000人を突破し、世界では50万人を超え、さらに広がりを見せています。各地で移動の自粛要請が出され、政府による「緊急事態宣言」発令の準備も進められています。まさに未曾有の危機と言えるでしょう。

また、コロナウイルスの脅威に付随して、マスクや生活必需品の買い占め、転売といった問題が出てきました。物品を買い占める人や転売する人は違法ではないからと言い訳し、モラルの欠如が浮き彫りになりました。これは世界中で見られた現象で、ウイルスがきっかけというだけであって、人間の本質的な問題であると言えるでしょう。

もちろん、一部の人がこういった行動をしているだけという見方はできますが、不安からデマだと知りつつ必要以上に物品を買いだめしておこうと考える人も多いのも事実です。

このような難しい状況ほど人間は手を取り合って困難に立ち向かわなければなりませんが、現状はいかがでしょう。政治家や専門家も各々の立場や利害に基づいて提言や政策がなされるため、人々の間にパニックが広がったのではないでしょうか。偏見や差別、風評被害も散見されます。

今求められることは、闇雲に恐れずウイルスの抑制に向かって冷静に対応することです。簡単なことでありませんが、“冷静になろう”、“乗り越えられる”と考えることが心の余裕にもつながるかと思います。

そしてやはり今一度、仏教の精神に立ち返る必要があるのではないかとも思います。伝教大師は冒頭の言葉「忘己利他」という言葉を残されています。仏教者の根本精神、理想姿ともいうべき教えです。

また、普段お読みするお経の中に「自他法界同利益じたほうかいどうりやく」という一節が出てきます。大意は「自分や他者、生きとし生けるもの全てが、この世界の利益を等しく受け取る」です。仏教の基本は自利と利他、つまり自分にも他者にも利益がある事を良しとします。現代風に言うと「Win-Win」でしょうか。

自分も他者も世の中もあらゆる縁でつながっていますから、結局自分に返ってくるのです。自分より人を優先しなければならない、ということではなく、この一つの世界の利益を分かち合い、共存共栄を目指すということが大事なのだと思います。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)