カテゴリー: お知らせ
7月のお便り(令和2年)
今月の言葉
「舎利弗、彼の仏の光明は無量にして十方の国を照らすに、障碍する所無し。是の故に号して阿弥陀と為す。」
〈【意訳】(お釈迦様が阿弥陀仏の説明をして)舎利弗よ、かの仏の光明は無量であり、十方の国を照らすに障害となるものはない。それ故にかの仏の名を阿弥陀(サンスクリット語のアミターバの漢訳。無量の光を意味する)という。〉
“智慧第一の舎利弗尊者”
気温、湿度共に高くなって参りました。今年はマスク必須の夏を迎えそうですが、熱中症には十分ご注意ください。
今月はお釈迦様の十大弟子の一人、舎利弗(シャーリプトラ)尊者をご紹介させていただきます。十大弟子とはお釈迦様の弟子たちの中で主要な10人を指します。その中でも舎利弗尊者は、筆頭の存在で、同期入門の目連尊者と並び二大弟子とも言われます。
十大弟子にはそれぞれ特に優れた一面から「〇〇第一」という尊称がつけられており、舎利弗尊者は「智慧第一」と称されました。先月のお便りでも申し上げましたが、この「智慧」とは知識のことではなく、物事の道理や特性を見抜く力のことを言います。
実は舎利弗尊者は、お釈迦様と出会うまでは目連尊者と共にサンジャヤという人物の高弟でした。お釈迦様の弟子から教えを聞き、すぐに250人の修行者を連れて入門しました。まもなく覚りを開くと教団の指導的役割を担ったといいます。仏教ではお釈迦様と同様に覚りを開いた人を阿羅漢と呼びます。
さて、舎利弗尊者を知らなかったという方もおられると思いますが、実は多くの方がお名前を耳にしているはずです。様々な経典の中で、仏様との対話相手として智慧の優れた舎利弗尊者が登場するからです。
例えば、『阿弥陀経』には、短いお経の中に「舎利弗よ」という呼びかけが36回も出てきます。
また、『般若心経』の冒頭に出てくる「舎利子」という語も舎利弗尊者のことです(インドの言葉を翻訳するときに、訳者によって違う漢字があてられることも多くあります)。
ところで、お釈迦様の後継者とも目されていた舎利弗尊者ですが、それを果たすことはありませんでした。晩年に重い病気を抱えていた舎利弗尊者はお釈迦様にいとまごいし、数十年ぶりに母の元へ帰郷しました。そこで母に仏教を説くと大いに喜ばれましたが、にわかに体調を崩し、母に見守られながら息を引き取りました。
お釈迦様の悲しみは大変深いものでしたが、他の弟子に対して、“この世に変化しないものはない”という「無常」の真理を覚ること、悲しみを乗り越えて自らの歩みを止めないことを説かれました。
合掌
~写経会のご案内~ *新型ウイルスの影響で開催を見合わせていましたが7月から開始させていただきます。 開催日 : 毎月 第4土曜日(7月25日、予約不要) 時 間 : 午後2時~5時(お勤めを2時から行いますが、時間内にいつ来ていただいても構いません。解散は各々自由です。) 持ち物 : 小筆(購入も可能です・貸出用もあります) 志納金 : 1,000円 *詳細はお問合せ下さい |
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
6月のお便り(令和2年)
今月の言葉
「知てしらざれ、還て愚痴なれ」
〈(意訳)知識を得ても知識にこだわらず、知恵がついてもおごり高ぶることがないようにしなさい。〉
“知恵と智恵”
緊急事態宣言が全面解除され、少しずつですが日常を取り戻しつつあります。しかしながら油断大敵です。外出の際はこれまで通り、手洗い、うがい、消毒などの徹底を心掛けたいものです。
コロナ禍において多くの人々が苦しめられています。かつてお釈迦様はこの世を「一切皆苦」と表されました。この苦というものは、新型ウイルスによって突然もたらされたのではなく、何気ない日常に潜み、隙あらば私たちに襲い掛かるのです。苦の代表ともいえるものが「生・老・病・死」で四苦と呼ばれます。生を繋ぎながら死に向かう、その道々で苦に出会います。お釈迦様はまずこの四苦を克服することを願い修行を始められたといいます。
誰しもに平等にやってくるこの苦には原因があります。それは、“求めても自分の思い通りにならない”ことです。四苦だけでなくありとあらゆる苦しみに当てはまります。「なぜ欲しいものが手に入らないのか」「どうして自分だけがこんな目に合うのか」、自分や自分の所有物に固執するとこのように考えてしまいがちです。さらに、弱っているときほど周りが順風満帆に見えて、さらに苦しむという悪循環を起こしてしまいます。どのように苦と向き合えばいいのでしょうか。
私たちは生きる中で言葉と共に多くの知識を得ます。これは実生活では大変役に立ちますが、多くの知識を得て自分の中の常識ができてくると、「〇〇はこういうものだ」、「〇〇はこうすべきだ」といったように、それらに縛られてしまうことがあります。ここにこだわりが生まれ、思い通りにならず苦の原因となるのです。だからこそ仏教では非常識こそが大事なのではないかと思います。なにも顰蹙を買うような言動をすべきというのではなく、ものごとの両面を考えるということです。常識が表とすれば、非常識は裏、表裏一体ですからどちらも大事です。総本山の他阿真円上人は100歳であられますが、「もう90歳ではない、まだ90歳だ」とよく仰っていました。
かつて伊予国(愛媛県)に仏阿弥陀仏という尼僧がおられました。この尼僧は、習わずとも仏法の要点を自然と語ることができ、常の心得として「知てしらざれ、還て愚痴なれ」と言われたそうです。宗祖一遍上人はこの姿勢を「浄土教の教えにかなっている」と仰いました。まさに“知恵”(知識から来る心)を超えた“智恵”(ものごとをありのままに観る心)ではないかと思います。常に心に留めておきたいものです。
合掌
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年4月より)*未定
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
5月のお便り(令和2年)
今月の言葉
「仏も衆生も隔なく 彼此の三業捨離せねば 無礙光仏と申なり」
〈念仏を唱えるとき、仏様と人との隔たりは無くなり、両者の行為は和合する。阿弥陀仏の別名を無礙光仏(隔たりがない仏)というのはこの由縁である。〉
“ 3密と三業”
緊急事態宣言から1か月が経とうとしておりますが、まだまだ先行きが見えない状況です。「ステイホーム」(お家で過ごそう)を合言葉に全国的に3密(密閉空間、密集場所、密接場面)の回避、外出自粛が求められています。皆様不安な日々を過ごされているかと思いますが、このような時こそ仏道に基づいて、正しく冷静な行動を心掛けたいものです。
さて、最近よく耳にするこの「三密」という言葉は、真言密教では「身密・口密・意密」の三密を指します。
また、仏教には似た言葉に「三業」があります。私たちではこちらの三業という言葉をよく使います。「業」は「行為」という意味があり、私たちの行為は大きく3つに分けることができます。
身体を使った行動の「身業」、口からでる言葉による「口業」、心の活動である「意業」、この身口意による行為が「三業」と呼ばれます。
唐の善導大師は『観無量寿経疏』の中で、
「衆生、行を起して口常に仏を称すれば、仏すなわちこれを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわちこれを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわちこれを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまう。彼此の三業相い捨離せず」と説かれています。
身口意の順番は違いますが、口には念仏、身は礼拝や合掌、心には阿弥陀様を念じるという私たち念仏者の在り方、そして同時に仏様も私たちの身口意の三業に応じてくださるということが示されています。私たちが阿弥陀様を常に想い続ければ、阿弥陀様も私たちを想い続けてくださいます。ご先祖様もきっとそうでしょう。私たちが忘れずに想えば、ご先祖様も忘れずに想ってくださるはずです。
ところで、「自業自得」とあるように自らの業(行為)は自らへと返ってくるのが鉄則です。しかし、お釈迦様がいらっしゃった時代、このような考え方とは異なる思想もありました。例えば、現世の運命は過去世の行いによって決まる、または神によって決められているという運命論・宿命論的な考え方。悪行や善行をしても意味はなくその報いを受けることはないと考える道徳否定論。お釈迦様はこういった考え方を否定し、あくまで「因果応報」、行為とその結果を重視されました。
現在、新型肺炎により世の中はパニック状態です。こういう時こそ人間の弱い部分は現れやすく、差別的な言動が横行してしまいます。自らの言動に責任を持ち、その行為が自らに返ってくるものと自覚することが肝要であると言えましょう。
合掌
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年4月より)*未定
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
インスタグラム開設
この度、SNSのInstagram(インスタグラム)のアカウントを開設しました。
Facebookとあわせまして、お寺の情報などを発信できればと思っております。(インスタグラムはより気軽な投稿が多いです)
ぜひ、こちらからフォローしてみてください!
4月のお便り(令和2年)

*新型コロナウイルスの影響を考慮し、4月からの写経会は延期させていただきます
今後の予定に関してはお便りやホームページなどでお知らせさせていただきます。
また、「京都時宗寺院の御朱印巡り」もチラシ・御朱印帳・満願証の制作などが進んではおりましたが、現況に鑑み、開始が延期になりました。
今月の言葉
「忘己利他」
(自分自身のことを忘れ、他者の利益のために尽くすこと、それが最上の慈悲である)
“ 共に乗り越えましょう”
コロナウイルスによる新型肺炎の脅威が増しております。3月27日現在、感染者数は日本で2,000人を突破し、世界では50万人を超え、さらに広がりを見せています。各地で移動の自粛要請が出され、政府による「緊急事態宣言」発令の準備も進められています。まさに未曾有の危機と言えるでしょう。
また、コロナウイルスの脅威に付随して、マスクや生活必需品の買い占め、転売といった問題が出てきました。物品を買い占める人や転売する人は違法ではないからと言い訳し、モラルの欠如が浮き彫りになりました。これは世界中で見られた現象で、ウイルスがきっかけというだけであって、人間の本質的な問題であると言えるでしょう。
もちろん、一部の人がこういった行動をしているだけという見方はできますが、不安からデマだと知りつつ必要以上に物品を買いだめしておこうと考える人も多いのも事実です。
このような難しい状況ほど人間は手を取り合って困難に立ち向かわなければなりませんが、現状はいかがでしょう。政治家や専門家も各々の立場や利害に基づいて提言や政策がなされるため、人々の間にパニックが広がったのではないでしょうか。偏見や差別、風評被害も散見されます。
今求められることは、闇雲に恐れずウイルスの抑制に向かって冷静に対応することです。簡単なことでありませんが、“冷静になろう”、“乗り越えられる”と考えることが心の余裕にもつながるかと思います。
そしてやはり今一度、仏教の精神に立ち返る必要があるのではないかとも思います。伝教大師は冒頭の言葉「忘己利他」という言葉を残されています。仏教者の根本精神、理想姿ともいうべき教えです。
また、普段お読みするお経の中に「自他法界同利益」という一節が出てきます。大意は「自分や他者、生きとし生けるもの全てが、この世界の利益を等しく受け取る」です。仏教の基本は自利と利他、つまり自分にも他者にも利益がある事を良しとします。現代風に言うと「Win-Win」でしょうか。
自分も他者も世の中もあらゆる縁でつながっていますから、結局自分に返ってくるのです。自分より人を優先しなければならない、ということではなく、この一つの世界の利益を分かち合い、共存共栄を目指すということが大事なのだと思います。
合掌
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年4月より)*未定
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
3月のお便り(令和2年)
今月の言葉
「無縄自縛」
(〔意味〕縄もないのに、みずからわが身をしばること。迷者は迷いに、悟者はさとりにとらわれて、自由になることのできない状態をいう。(精選版日本語大辞典))
“ 般若心経”
先月に引き続き新型肺炎が猛威を振るっております。体調管理にはくれぐれもお気を付けください。
今年の春のお彼岸は3月17日~23日(20日が中日)までの期間です。22日には本堂で恒例の彼岸施餓鬼法要もございます。
またこの度、4月より「写経会」を開催することとなりました。どなたでも気軽に参加いただければと思っております。1度だけの体験でも、もちろん結構です。ただし、新型肺炎の影響が懸念されますので、また4月のお便りにも開催の有無をお知らせいたします。
写経というと、「難しそう」、「筆は慣れてないから」、と敬遠される方もおられますが、もったいないことです。“上手く”ではなく“心を静めて丁寧に”が、一字一字に仏様が宿られていることを意識して、写し取っていくことが大事です。
写経する経典として一般的なのものは『般若心経』です。文字数は266文字と非常に短いですが、大乗仏教を代表する経典とも言われ、現在でも浄土真宗、日蓮宗系を除きほとんどの宗派で誦まれています。時宗においても、特に祈願に関する法要ではよく誦まれ、総本山遊行寺では毎朝の勤行の後に、天照皇大神・熊野権現・大隅正八幡大菩薩の神棚に向かい読経する際に用いられます。
『般若心経』は正式には『般若波羅蜜多心経』といい、「空」を正しく理解した時に人々は苦しみから解放されると説かれています。この「空」の思想はお釈迦様が説かれた「縁起」と密接に関係しています。「縁起」とは全てのものは、独立して成り立っていないという教えです。例えば、「車」はタイヤやボディ、ガラス、ライトなど様々な部品が縁として集まって車と認識できます。一つの部品を見て「車」であると思う人はいないでしょう。ですから「車」が有ると思い込んでいますが、結局はパーツの集合体であって、「車」そのものの実体はないのです。この「車が有る」と思い込んでいるだけで実は実体がない、というのが「空」の思想です。この例だけではなく、基本的に私たちは、何かについて“このようにあるものだ”とか“こうあるべきだ”と考えてしまい、この先入観で苦しみを生み出します。まさに「無縄自縛」の状態で、「無い」ものを「有る」と思うから苦しむわけです。常識にとらわれず、何かに固執せず、ものごとをありのままに観ることができれば、苦しみから解放されると『般若心経』は教えてくださっているのです。 合掌
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年4月より)
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
2月のお便り(令和2年)
今月の言葉
「有心は生死の道、無心は涅槃の城なり 」
(〔解釈〕相対差別の心をもてば迷いの道があり、その心を無くせば安らかな境地へと入ることができる)
『一遍上人語録』
“ 3つの旗印”
余寒厳しい折ですが、いかがお過ごしでしょうか。全世界で新型コロナウイルスが猛威を振るっております。一刻も早い事態の収束を願うばかりです。
さて、2月15日は、仏教三大行事の一つである涅槃会の日です。お釈迦様が亡くなり、完全な涅槃へ入られたことを偲びます。涅槃とはさとりの境地、苦しみが消滅した状態を指します。よくタイなどで見られるお釈迦様が横になっている像が涅槃のお姿で、頭を北に顔は西を向き、右脇を下にしておられます(頭北西面右脇臥)。この涅槃は涅槃寂静ともいい、仏教の基本教理である「三法印」の一つに挙げられます。少し紹介したいと思います。
【三法印】とは・・・ ①諸行無常 ②諸法無我 ③涅槃寂静
- ➀「諸行無常」は最も基本的な真理といえます。すべての物事は永遠に存在するはせず、常に変化することを意味します。人の命も無常であり、はかないものです。“無常を観ずるは、菩提心のはじめなり”といい、自分の死を見つめたとき、本当の幸せ、さとりの道を目指すきっかけが生まれるのです。
- ②「諸法無我」はあらゆるものは因縁によって成り立っており、独立した存在、実体は無いという意味です。自分の体や心など、“私のもの”と思っている存在も、実は「無我」=「私のものではない」という教えです。
- ➂「涅槃寂静」とは涅槃が安らかな寂静の境地であるということを意味します。あらゆる煩悩や執着から離れることができれば涅槃に入ることができ、仏教理想の境地とも言えます。
この3つに「一切皆苦」を加え、四法印と呼ぶこともあります。印とは旗印のことですから、三法印は仏教が掲げる基本的教義の旗印ということになります。大変大事なものですから常に心に留めおきたいものです。
合掌
~念仏行脚~
先月24日は恒例の「法然上人追慕念仏行脚」に参加しました。夕刻に太秦西光寺を出発し、2か寺で勤行したのち、粟生光明寺(西山浄土宗総本山)にて追慕法要を行いました。5教団の僧侶が集まり、一般参加者を含め約160名が約16キロ、5時間半の道のりを歩きました。
実は福田寺のお檀家さんもお一人参加され、無事満行されました。この道のりは、他教徒からの迫害が強まる中、法然上人のご遺骨を、お弟子方が光明寺まで運んだことに由来します。一心に念仏を称え、行脚する姿は、法然上人への報恩感謝そのものなのです。
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・写経会…詳細は後日
1月のお便り(令和2年)
今月の言葉
「名号の外に機法なく、名号の外に往生なし 」
(南無阿弥陀仏の名号の外に衆生(人間)や仏はなく、また名号の外に往生もない。名号が全てを包み込んでいる。)
『一遍上人語録』
“ 念仏は多いほうが良い?”
明けましておめでとうございます。
新年を迎え、謹んで至心に檀信徒の皆様のご平安を心より祈念申しあげます。
行く年来る年を題した俳句に高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」があります。新年を迎えれば、人は昨日を「去年」、元日からを「今年」と呼んで分け隔てますが、実際に明確な差はありません。それはまるで一本の棒のように切っても切り離せないものだということです。
さて、昨年のお正月号で「一息生死」のお話をさせていただきましたが、覚えておられるでしょうか。一期(一生)には始まりと終わり(生と死)があり、同様に一年、一月、一日にも始まりと終わりが来る。そうして突き詰めていくと一息にも生と死の繰り返しがあることが分かります。まさに“貫く棒”のように連綿と続く営みです。一息一息にも臨終があるのだと心得て、日々を大切に生きる重要さを一遍上人は説かれているのです。たった今現在と思っていても、あっという間にそれは過去になります。「今が一番若い」という言葉を掲示板で見たことがありますが、まさに“今”をかみしめる言葉ではないでしょうか。
仏教では、時間は刹那(一瞬)にやってきて刹那に過ぎ去るものであると考えます。過去・未来から切り離された非連続の“今”、この“今”が連続して時の流れを感じるのです。先ほどは生死の繰り返しを棒のようと申しましたが、棒に見えて実は輪切りの塊と言えるでしょう。一遍上人はこの時間の考え方から、お念仏の教えを「ただ今の念仏」、「一遍の念仏」をおっしゃいました。当時、念仏は多く唱えるほうが往生に繋がると考える人も多い中、一遍上人は数ではなく、一念一念を往生のため大事にする念仏を勧められたのです。ただ今念仏する時が往生の時であり、それ以外は考えられません。
この往生を可能にするものは一体何でしょうか。阿弥陀様の力でしょうか、念仏の数でしょうか、それとも信心の深さでしょうか。様々な解釈がありますが、一遍上人の答えは、名号「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀仏は覚りを得られたとき、名号を唱えるすべての人々を極楽へ往生させることを誓われました。つまり名号こそが阿弥陀仏と人々を繋ぐということです。これを時宗では「機法一体の念仏」と申します。機は私たち衆生、法は阿弥陀仏を指します。ですから口で名号を唱える刹那、私たちは名号をかけ橋として阿弥陀仏と一体となっているのです。
合掌
年間行事予定
・1月12日…総代会
・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室
【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・写経会…詳細は後日
12月のお便り
今月の言葉
「専ら仏法僧を念じて、感応の力を忘るることなかれ」
(よくよく三宝(仏様・み教え・教団)を念じて、日頃の仏様からの働きかけの力を忘れてはならない)
『一遍上人語録』
“ 御朱印よもやま話”
毎年のことですが、一年はあっという間で、年の瀬もいよいよ押し迫ってきました。
皆様がよいお年を迎えられますよう祈念申し上げます。
さて、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、お寺の玄関に「御朱印」の見本を置かせていただきました。近年、老若男女問わずブームになっている御朱印巡りですが、当山にも最近ちらほらと参拝と御朱印を目当てに来られる方がいらっしゃいます。ここ富小路通り(五条~六条)周辺は、「下寺町」と呼ばれる地域で寺院もたくさんあり、まとめて参られる方も多いようです。
当山の「乳房(ちぶさ)地蔵尊」へは乳房守護や母乳祈願といった御利益で参られる方だけでなく、「洛陽四十八所地蔵霊場」の札所巡礼という方もおられます。
ただし、過熱するブームに賛否両論あります。インターネットで御朱印や御朱印帳が高値で売買されたり、御朱印の待ち時間の長さに文句をつけたりと、本来の御朱印の意味から外れた人も一部見受けられます。もともと御朱印は納経や読経の証しとして頂いたことが始まりとされ、神仏の御心が入っているとも考えられます。スタンプラリーとは違うと言われる由縁はここにあり、御朱印や御朱印帳は大切に扱わなければならないのはもちろんのこと、頂く人自身の心にも誠意がなければなりません。
江戸時代から流行しだした御朱印巡りは、当時から書き置きのものや、印刷されたもの、版木のものなど様々あったようです。最近は、カラフルなものや絵をあしらったものなど趣向を凝らした御朱印が増えてきました。当山では、今のところ“ちぶさ地蔵尊”と“南無阿弥陀佛”の御朱印2種類を用意していますが、良いアイデアが出てきたら種類を増やそうかとも思っています…。お檀家の皆様も御朱印を集めている方がいらっしゃいましたら気軽にお声掛けください。
そして実は現在、京都の時宗寺院での御朱印巡りが計画されています。京都の時宗寺院は兼務寺院を含めて16ケ寺あり、全てが市内に建っています。時宗寺院は他宗派から転向していることが多いので、同じ宗派でも異なっているところや共通しているところ様々あり、本当に興味深いです。また具体的に企画が進めばお知らせさせていただきます。
一過性のブームではなく、感応(仏様からの働きかけ)の証しとして御朱印を大事にしていただければと思います。
合掌
年間行事予定
・1月13日…総代会
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)
↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!
・5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)