カテゴリー: お知らせ

2月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

「闇深ければ 光もまた強し」詩人・坂村真民のことば

 

“古代インドの共和国”

先月14日より京都にも緊急事態宣言が出されました。不急の外出を招かないように当寺でも御朱印授与の停止、写経会の中止という対応をいたしました。ここで一人一人が改めて感染防止を強く意識することが重要だと思います。

さて2月15日はお釈迦様の入滅を偲ぶ「涅槃会ねはんえ」の日です。涅槃とは煩悩を滅した状態のことを言い、似た言葉に菩提(さとり)や解脱という言葉があります。すでにさとりを開かれていたお釈迦様ではありますが、肉体を無くしさらなる安楽の境地へと入られたのです。「寂滅じゃくめつをもって楽となす(煩悩を滅し、心を静寂にした境地こそ最上の安楽である)」という経典の言葉もあり、仏教徒の目指すべき目標であるとされました。

お釈迦様が入滅したのはクシナガラという地でしたが、この場所に至るまでに実は約350kmの遊行(ゆぎょう)の旅を経られていました。この時の年齢は80歳、すべて徒歩での旅路で、様々な都市を経由しながら人々に法を説かれたといいます。もちろんお釈迦様は自身の死期を悟り、最後の旅と覚悟しておられました。道中の詳細は『大般涅槃経』という経典にまとめられているのですが、次のようなエピソードが残っています。

当時の大国の一つであるマガダ国は隣接するヴァッジ国を侵略しようとしていました。そこでマガダ国王はお釈迦様に意見を聞こうと大臣を向かわせました。お釈迦様は弟子との問答を通して、ヴァッジ国が次の7つの項目(七不退法)を守っている間は、かの国は繁栄し侵略は不可能であると説かれました。

①住民がよく会議を開き多くの人が参加している

②共同して事にあたり義務を果たす

③旧来の法律を遵守し行動する

④年長者を敬いよく話を聴く

⑤女性、子供を思いやる

⑥聖域を大切にして供物を備える

⑦尊敬される修行者(阿羅漢)を支持し、守る

実はヴァッジ国はいくつもの民族により構成される連合国家で、部族代表により合議が行われる共和制が敷かれていました。そして上記の7項目をよく守り大変繁栄していたようです。大臣は暗に侵略をいさめられたことを国王に報告し、戦争は回避されました。また、お釈迦様はこの7種の項目を仏教教団にも応用して、同様の七法を定められました。

約2500年前の古代インドのお話ではありますが、ルールだけではなく道徳や思いやり、礼節、信仰など、現代の私たちこそ学ぶべきものが多いのではないでしょうか。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:2月27日午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

令和3年2月限定御朱印

2月の御朱印は「釈迦涅槃図」をモチーフにしています。実際の涅槃図では宝台に横たわったお釈迦様が弟子や動物らに囲まれる様子が描かれています。満月はお釈迦様が大涅槃に入り、少しも欠けることのない存在となられたことを表します。沙羅双樹は茂った木と枯れた木が2種描かれ、沙羅の木がお釈迦様の死を悼み枯れてしまったともいわれます。また2種は、色褪せないお釈迦様の真理と諸行無常を表すとされます。「寂滅をもって楽となす(寂滅為楽)」とは「寂滅の境地(涅槃)は真の安楽である」という意の仏教語です。

写経奉納限定御朱印(月替わり2月)

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

2月の御朱印対応について

来月7日に期限を迎える緊急事態宣言ですが、3月7日まで延長する方向で調整に入ったようです。

このまま延長になった場合、1月に続いて2月も通常の御朱印対応は停止し、郵送のみの対応とさせていただきます。(郵送では1月分も書かせていただきますが、日付は「一月」のみの記入とします)
お参りを楽しみにしていただいていた方には申し訳ありません。

3月以降の対応についてはまた発信させていただきます。
どうぞ宜しくお願いいたします。

来月も、お隣の荘厳寺様と同時に郵送御朱印を申し込める「申込書」を「道順・御朱印」からダウンロードできますのでご活用ください。
メールでもお問い合わせいただけます。

 

2月の御朱印は「釈迦涅槃図」をモチーフにしています。実際の涅槃図では宝台に横たわり涅槃に入られたお釈迦様が、弟子や動物らに囲まれる様子が描かれています。満月はお釈迦様が大涅槃に入り、少しも欠けることのない存在となられたことを表します。沙羅双樹は茂った木と枯れた木が2種描かれ、沙羅の木がお釈迦様の死を悼み枯れてしまったともいわれます。また2種は、色褪せないお釈迦様の真理と諸行無常を表すとされます。「寂滅をもって楽となす(寂滅為楽)」とは「寂滅の境地(涅槃)は真の安楽である」という意の仏教語です。

令和3年2月限定御朱印

写経奉納限定御朱印(令和3年2月)

「緊急事態宣言」中の対応について

京都府も「緊急事態宣言」の対象となりましたので、期間中、当寺では墓参・法要を除く一般拝観ならびに御朱印(書き置きを含む)の授与を停止いたします。

2月に宣言が解除された場合、2月の月替わり御朱印と合わせて1月分も授与します。

なお御朱印の郵送対応は継続します。お申し込みの際はコチラをご確認ください(お隣の荘厳寺様との同時申し込みも受け付けております)。

メール等でもお問い合わせいただけます。

電話機が故障しております

ただいま電話回線機器の故障により電話機が使えない状態になっております。

4日の午前中に復旧を見込んでおります。

大変ご迷惑をおかけし申し訳ありません。

お問い合わせはメール

info@kyoto-fukudenji.com

もしくは各種SNSをご利用いただきますよう宜しくお願いいたします。

                    

追記:1月4日 電話回線が復旧いたしました

 

新御朱印の頒布について

令和3年1月3日より新たに授与させていただく御朱印をご紹介いたします。

こちらの御朱印は令和3年限定として頒布いたします(見開き700)

対応日には直書きも可能ですが、状況により書き置きとさせて頂くこともありますのでご了承ください。

赤い紙は書き置きで数量限定です。

「牛王身(ごおうしん)」とは

お地蔵さまは様々な姿に変化して人々を救うとされます。当寺の乳房地蔵尊は、その中でも牛頭天王(祇園精舎の守護神、疫病を司る神とも)に変化すると伝えられています。

乳房地蔵尊の縁起には「尊像の自然に或現牛王身の経文に奠合したまふ事あに不思議ならずや」とあります。

意訳すると:

(牛の乳には徳があり、スジャータにより供養された乳粥は釈尊の覚りの縁ともなったという。)…この母乳満足の願いを叶える乳房地蔵尊が『延命地蔵経』の中の「或いは牛頭天王の姿を現す」という文言と一致していることはなんと不思議ではないか」

牛の乳と母乳、牛頭天王と乳房地蔵尊が表裏一体の様に結びついているのです。

1月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

牛の歩みも千里

(牛の歩みのように成長が遅くとも、努力を続ければ千里という長い道のりを歩み目標に達することができるというたとえ)

 

“牛の歩みも千里”

明けましておめでとうございます。謹んで新春の慶びを申し上げますとともに、皆々様の安穏を心よりご祈念いたします。

さて、本年は丑年ということで、牛に関する話を調べてみました。牛と人との関わりは古く、8000年以上前から家畜として飼育されていたそうです。仏教が生まれたインドでも農耕と酪農に牛が利用されていましたが、一方でその存在が神聖化され、恵みをもたらす牝牛神「スラビー」やその息子で四足動物の守護神「ナンディン」などが神話に登場します。今でもインドに多いヒンドゥー教徒は牛を聖獣として崇め、食すことは禁忌とされています。

また牛に関することわざには「商いは牛のよだれ」(商売は牛のよだれのように細く長く切れ目なく、辛抱して続けることが大事だというたとえ)、「牛の歩みも千里」(牛の歩みのように成長が遅くとも、努力を続ければ千里という長い道のりを歩み目標に達することができるというたとえ)などがあります。どちらも、継続することの大切さがたとえられています。

仏伝にはこの言葉を体現されたかのような人が登場します。「チューラパンタカ(周利槃特しゅりはんどく)」というお釈迦様のお弟子様です。彼には非常に聡明な兄がおり、兄の勧めで教団に入りましたが、記憶力が極端に悪かったチューラパンタカはいつになっても一つの教えも覚えることができませんでした。兄は何とか覚えさせようとしますが上手くいかず、ついには匙を投げてしまいます。途方に暮れたチューラパンタカのもとにお釈迦様がやってきて事情を知ると、「自分が愚かだと気づいた者は愚かではない」言い、1枚の白い布を渡し「“ちりを払わん、あかを除かん”と唱えながら掃除をしなさい」と教えられました。

彼はこの短い言葉を必死に繰り返しながら、来る日も来る日も掃除を続けました。そして幾年も過ぎたある時、汚れを除くべきものの正体に気づきます。それは自らの心につもる塵や垢、つまり煩悩でした。智慧という布をもって煩悩を取り除く努力を続けることこそが、お釈迦様の伝えたかった真意であると知ったのです。煩悩とは単なる欲ではなく、根源には“思い込み”や“捉われ”があります。もしかしたらチューラパンタカには自分が愚か者だという思い込みや劣等感があったのかもしれません。しかしお釈迦様に気づきを与えられこれを取り除くことが叶い、周りから愚か者と呼ばれたチューラパンタカはついにさとりを得たのです。

“牛の歩み”のようであれ、一歩一歩と続けた努力が実を結ぶ日を願い、日々精進を続けたいものです。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:1月23日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 

当月限定御朱印(300円)

御朱印のモチーフは「牛の歩みも千里」(牛の歩みのように成長が遅くとも、努力を続ければ千里という長い道のりを歩み目標に達することができるということ)です。

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

1月の御朱印対応日

(1月14追記:「緊急事態宣言」につき御朱印授与を停止しております。詳細は「緊急事態宣言中の対応について」をご覧ください)

 

令和3年1月の御朱印直書き対応日、本堂内拝観可能日をお知らせいたします。
対応日以外は基本的に書き置きですが、書き手が居れば直書きいたします。

御朱印直書き対応日
27日(午前9時〜11時半)
3,9,15,24日(午後1時〜4時)

 

急務により対応日の変更もございますので、ご了承ください。

また御朱印の郵送についてはメールでお問い合わせください。(info@kyoto-fukudenji.com)

宜しくお願いいたします。

当月限定御朱印(300円)

 

今月のテーマは、ことわざ「牛の歩みの千里」(牛の歩みのように成長が遅くとも、努力を続ければ千里という長い道のりを歩み目標に達することができるということ)です。

12月のお便り(令和2年)

【今月の掲示板】

恩に報い 徳に謝す

12月8日はお釈迦様のおさとりを記念する日として知られています。
仏教を開き伝え、お念仏の教えを広められたことへの「報恩謝徳(恩徳に感謝し報いること)」の思いを致す日でもあります。

 

「福田寺だより」12月 79号(PDF)

 

 

 

 

“報恩と供養”

今年も様々な出来事がありましたが、やはり新型コロナウイルスによる苦境が本年の象徴と言えましょう。しかもこれは現在進行形であり、来年以降の予想もまるでつかない未曾有の事態となっています。危機に当たっては右往左往してしまうのが私たち凡夫ぼんぷです。

「とにかくに 心は迷ふものなれば 南無阿弥陀仏ぞ 西へゆく道 (宗祖一遍上人)」

阿弥陀様のみ光は私たちが行くべき道を常に照らしてくださいます。

 

さて、12月8日はお釈迦様がさとりを開かれた記念日として知られています。今日まで続く仏教を開き伝えられたこと、お念仏の教えを広められたことへの「報恩謝徳(恩徳に感謝し報いようとすること)」の思いを致す日でもあります。

お釈迦様はさとりを開かれるまで6年に及ぶ苦行をされていました。それは激しいもので、断食行に打ち込んだ体は骨と皮だけになってしまったといいます。しかし、この苦行では決してさとりを開くことができないと気付かれました。

苦行をやめ、ナイランジャナー河で身を清めたお釈迦様のもとにスジャータという村娘が偶然通りかかり、持っていた乳(ちち)粥(がゆ)を供養しました。これを食したお釈迦様は精気を養い、菩提樹の下で深い瞑想に入り、遂にさとりに至られたのです。ですからこのスジャータの供養には大変な功徳があるとお釈迦様自身が言われました。

ところでこの「供養」とはなんでしょう。日本では死者への弔いとして物品を捧げること、お経をあげることというイメージが強いかと思います。もともと供養とはサンスクリット語でプージャーといい、“仏や神々に対し尊敬、敬意の念をもって食物や香華灯明などを捧げること”の意味があります。ここから二種供養、三種供養と分ける考え方が生まれ、大まかにいえば物品を供える供養、修行や説法を行う供養、つまり物心両面の供養が説かれました。さらに供養は死者への弔い(追善供養)、鎮魂へと広がり、ひいては人形供養や針供養など生命以外への供養へと展開していったのです。

供養と似ている言葉に「布施」があり、こちらも施し与えることという意味あります。他者への施しもやはり物だけでなく心遣いも重要とされます。“してあげている”のではなく“させていただいている”という考え方が基本で、施していると同時に自身の修養をさせていただいているのです。同様に「供養」もお供えしていると同時に自らが養われているとも言えます。本堂やお墓で拝んでいると拝まれている気持ちになったという方は少なくないはずです。

大事なことは真心を持つことで、「供養」も「布施」も根底にあるのは“相手に喜んでもらうこと”かと思います。亡くなった方への追善供養というと難しく考えがちですが、「お経を読んでもらったら嬉しいかな」「私たちが幸せに生きているのが一番喜んでくれるかな」「恩返しがしたいな」などと想いを巡らせ実行することが身近な供養であり、そこに追善供養の意義があるかと思います。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:12月26日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 

12月限定御朱印「成道:じょうどう」

御朱印のモチーフは、お釈迦様に村娘のスジャータが乳粥を供養している場面です。

中心の「法輪」は仏教のシンボルマークと言えるもので、車輪が転がる様に仏法が広がることを表しています

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和2年)

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

12月の御朱印対応日

12月の御朱印直書き対応日、本堂内拝観可能日をお知らせいたします。
対応日以外は基本的に書き置きですが、書き手が居れば直書きいたします。

御朱印直書き対応日
9,20,23,27日(午前9時〜11時半)
5,15,19,20日(午後1時〜4時)
追加:9日午後1時〜4時

急務により対応日の変更もございますので、ご了承ください。

また御朱印の郵送についてはメールでお問い合わせください。(info@kyoto-fukudenji.com)

宜しくお願いいたします。

12月限定御朱印「成道:じょうどう」

御朱印のモチーフは、お釈迦様に村娘のスジャータが乳粥を供養している場面です。

中心の「法輪」は仏教のシンボルマークと言えるもので、車輪が転がる様に仏法が広がることを表しています

11月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

【今月の掲示板】

身をかんずれば水の泡 消えぬるのちは人もなし

命を思へば月の影 いでいる息にぞとどまらぬ

 

人間とは、消えてしまえば大河にとけ込む水の泡のようにはかない存在である。命は刻一刻と姿を変える月のようであり、吸っては吐く一息一息もいつ止まるか分からず永遠不変ではない。

 

「福田寺だより」11月 78号(PDF)

 

善悪ぜんなくを説かず”

10月1日より始まりました「京都時宗道場御朱印巡り」は想像以上の反響で、専用の御朱印帳(遊行帳)を持って度々お参りの方が来られています。“檀家でも知らないお寺が多かった”、“時宗という宗派を知るきっかけとなった”、“今まで何となく近寄りがたかったお寺にも参拝できた”という喜びの声も多く聞かれ、こちらも嬉しい気持ちになります。個人的には広報担当の役割を頂きましたので、より良いものを目指しながら、多くの方々とご縁を結べるように努めたいと思っております。
また、お陰様で9月、10月の写経会にはそれぞれ十数名のご参加がありました。経文は写経で一般的な「般若心経」のほか、時宗でもお読みする『無量寿経むりょうじゅきょう』の一節「四誓偈しせいげ」、短いながらお釈迦様の威徳が説かれた「舎利礼文しゃりらいもん(舎利経)」を当初ご用意しました。さらに先月は宗祖一遍上人の作である「誓願偈文せいがんげもん」も新たに写経の題材としました。
この「誓願偈文」は「発願文ほつがんもん」と呼ばれたり、宗派内では冒頭の部分から「我が弟子等」と呼ばれたりします。日用勤行式にも入っており一遍上人のお言葉として最も身近であると思い選ばせていただきました。「誓願偈文」の誓願とは、神仏に対して誓いや願いを述べたものを言い、弘安9年(1286)、一遍上人が48歳のときに当麻たいま寺(奈良県葛城市当麻)に参詣された折に書かれたといいます。もとは漢文で4字33句(こういった詩句を偈頌、偈文といいます)から成っていますが、普段の勤行では和文にしてお読みします。
内容は念仏の行者の日頃の心構え、名号「南無阿弥陀仏」に帰依する誓い、阿弥陀様や諸仏諸菩薩からの守護、そして極楽往生への願いです。この中に「善悪を説かず、善悪を行ぜず(不説善悪 不行善悪)」という句があります。日常、私たちは法律や社会のルールなどを基準に善や悪、正しさや過ちを考えます。ただし、この価値観は絶対的なものではありません。時代により善悪の判断は変わりますし、もっと身近なことで言えば“良かれと思ってしたことが迷惑だった”などという話はよくあります。つまり凡夫である私たちの「善悪」の判断は必要ながらも絶対ではないということです。本当の正しさというのは仏様の立場でしか分かりません。ですから一遍上人は「人の行為について必要以上に善悪を説くことなく、自らの行為に必要以上に善悪の基準を持ち込まない」、とおっしゃられたのではないかと私は思います。ともかくに自分自身が凡夫であることを自覚し、念仏をお唱えすることが肝要であり、その時にこそ図らずも私たちが日頃作ってしまう罪障は取り除かれるのです。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:11月28日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 

11月限定御朱印

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和2年)

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)