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2月のお便り(令和5年・105号)

【今月の掲示板】

「人は常に幸福を求めるが、常に幸福に気付かない」 ルソーの言葉

 

2月 105号 お釈迦様の形見」 pdfファイル

 

“お釈迦様の形見”

厳しい冷え込みが続きますね。先月24日には京都市内も大雪が降り、幹線道路も真っ白、列車の立ち往生も起こるなど、大きな被害が出ました。私自身、長岡京光明寺での法然上人追慕法要への参列が急遽取りやめになるということもありました。

またコロナだけでなくインフルエンザも流行しているようです。人ごみに出かけない、体調を整える等、一層の用心をしなければなりませんね。

さて、文永9年(1272)2月17日は当寺を開いた宗尊むねたか親王の父親である後嵯峨天皇が崩御された日です。宗尊親王は後嵯峨天皇の寵愛を受けるも、11歳で鎌倉に下り、第6代鎌倉幕府将軍となりました。帰京後、31歳で出家されましたが、それは後嵯峨天皇の崩御を弔うためでした。その後の心情を和歌に残されています。

「朝夕に 面影映す 鏡こそ 別れし君が 形見なりけれ」

(朝夕に父帝ちちみかどの面影を映す鏡こそが形見なのだなあ)

「梅がは 四方に霞みて ありし世の 形見がほなる 春の空かな」

(梅の枝が四方に霞んでおり、父帝が在世の頃の形見のような春の空であることよ)

この二首は父帝である後嵯峨天皇を思慕する和歌です。皆様も同様の経験はないでしょうか。鏡を見たり、ある風景や物を見たりして父母や祖父母を思い出す時、姿かたちはなくとも、そこには確かに故人が現れるのです。

かつてお釈迦様は、自身の死期を悟った際、涅槃に入る前に弟子たちに「自灯明・法灯明」の教えを残されました。お釈迦様自身が亡くなった後、動揺が広がることを見越して、「他に依らず自らを灯明(拠り所)とし、他に依らず法(教え)を拠り所としなさい」と説かれたのです。お釈迦様が入滅されてから2000年以上、仏教は今日まで社会の変化に合わせ、人々の悩みに応じて大きく変容してきました。ただし、そこに「法(お釈迦様の教え)」に準じるという姿勢があったからこそ「仏教」の形を留めているのだと思います。

宗孝親王が詠まれた「形見」は、お釈迦様の「灯明」に通じるのではないでしょうか。今私たちが生きていくため、難題を乗り越えていくための拠り所は、自分自身の中にあるはずなのです。

合掌

 

令和5年2月限定御朱印(観梅・300円)

観梅とは梅の花を観賞することで、梅見とも言います。当寺境内の梅も咲き始めております。どうぞご覧ください。

 

令和5年2月限定御朱印(涅槃・800円)

2月15日の涅槃会がモチーフです。涅槃とはさとりの境地であり、お釈迦様は入滅により完全なさとりに入られたのです。滅後はその足跡、教えを表す仏足石が信仰の対象となりました。
入滅の前に弟子たちに「法に依って人に依らざれ(教えを頼りとするのであって、人を頼りとすることのないように)という教えを残されました。

 

令和5年2月限定御朱印(形見・宗尊親王和歌、柄付き和紙、見開き書置き800円)

「宗尊親王和歌シリーズ」です。親王像の絵は御奉納いただいたものを参考にしています。宗尊親王は当山の開基(創建者)です。史上初の皇族将軍として鎌倉幕府6代将軍に就き、その後更迭されるなど波乱に満ちたご生涯を過ごされました。和歌に非常に長けられ多くの作品を残されました。

「朝夕に 面影映す 鏡こそ 別れし君が 形見なりけれ」
解釈: 朝夕に父(後嵯峨天皇)の面影を映す鏡こそが形見なのだなあ

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり2 月)

福升に入る兎と鬼役の猫です。
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

令和5年限定御朱印(柔和の心・1000円)

1月のお便りに書かせていただきました「柔和の心」テーマにしています。

「学べば即ち固ならず(学問をすれば自分の考えに凝り固まることがなくなる)」とは孔子『論語』の言葉です。

令和5年限定御朱印書置きの実(愛敬・1000円)

愛敬(あいぎょう)とは愛しみ、敬うことです。仏様のお顔は柔和で慈悲にあふれており、「愛敬相」といわれます。現代の「愛嬌あいきょう」や「愛想あいそ」もこの言葉から来ています。

 

【2月の写経会は25日(土)14時からです】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和5年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月8日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

1月のお便り(令和5年・104号)

【今月の掲示板】

「1月 104号 卯年に寄せて」 pdfファイル

“卯年に寄せて”

明けましておめでとうございます。謹んで新春のお慶びを申し上げますとともに、皆々様の安穏を心よりご祈念申し上げます。

私事ですが昨年12月3日に長女が誕生いたしました。妻の妊娠中よりたくさんのお祝いのお言葉を頂戴いたしました。改めて感謝申し上げ、ご報告させていただきます。

さて、今年の干支はウサギですね。私が小学生の頃、ペットとしてウサギを飼っていた友達がいました。穏やかで優しい顔つきで、キャベツを食べる姿が可愛くてずっと眺めていたのを覚えています。柔和で温厚というイメージです。

実は「柔和」は仏教用語として使われます。宗祖一遍上人の語録にも「もっぱら柔和にゅうわおもてを備えて、瞋恚しんにの相を表すことなかれ(柔らかく穏やかな顔つきで、怒りや憎しみの表情を見せないようにしなさい)」とのお言葉があるように、仏教者の大事にしなければならない姿勢でもあります。

もちろん表情だけでなく心も柔和でありたいものです。柔軟という言葉がありますが、これを仏教では「にゅうなん」と読みます。単に穏やかで優しいという意味ではありません。仏様の教えを柔らかな心で受け止め、素直に従うという意味があります。心がカチコチでは他の考えを受け取れません。例えば、同じ話を聞いた人でも「いや、こうあるべきだ」と頭から否定する人と「なるほど一理ある」と受け止める人では、結果や過程は違ってきます。何でもかんでも人の言うことを聞くということではなく、まずは柔軟に受け取って、それでいて自らの考えを巡らせばよいのです。同様の意味では、『論語』の「学べばすなわならず(学問をすれば自分の考えに凝り固まることがなくなる)」もまさに柔軟性を説いた格言と言えます。

大人になると柔軟な思考や、素直に受け止めるというのが簡単そうで難しいものです。“自分”というしがらみにとらわれてしまうからです。仏教は「無我」の教えですから、そのような“自分”は無いのだ、自由でいいのだと教えてくれます。私もなかなか実践できていませんが、柔和な心を目指して今年一年精進したいと思います。

合掌

 

令和5年1月限定御朱印(初明り・300円)

「初明り」とは元日の朝に空がぼんやりと光ることをいいます。

新年に平和と希望の光が差すことを願います。

 

令和5年1月限定御朱印(飛躍・800円)

跳躍するウサギをイメージして言葉は「飛躍」としました。

「兎の登り坂」は、後ろ脚が長いうさぎが坂道が得意なことから、「得意な分野で持ち前の力を発揮して物事がうまく進む」という意味のことわざです。

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり1 月)

羽子板とコタツから出られないネコです。
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

令和5年限定御朱印(柔和の心・1000円)

1月のお便りに書かせていただきました「柔和の心」テーマにしています。

「学べば即ち固ならず(学問をすれば自分の考えに凝り固まることがなくなる)」とは孔子『論語』の言葉です。

令和5年限定御朱印書置きの実(愛敬・1000円)

愛敬(あいぎょう)とは愛しみ、敬うことです。仏様のお顔は柔和で慈悲にあふれており、「愛敬相」といわれます。現代の「愛嬌あいきょう」や「愛想あいそ」もこの言葉から来ています。

 

【1月の写経会は28日(土)14時からです】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和5年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月8日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

12月のお便り(令和2年)

【今月の掲示板】

恩に報い 徳に謝す

12月8日はお釈迦様のおさとりを記念する日として知られています。
仏教を開き伝え、お念仏の教えを広められたことへの「報恩謝徳(恩徳に感謝し報いること)」の思いを致す日でもあります。

 

「福田寺だより」12月 79号(PDF)

 

 

 

 

“報恩と供養”

今年も様々な出来事がありましたが、やはり新型コロナウイルスによる苦境が本年の象徴と言えましょう。しかもこれは現在進行形であり、来年以降の予想もまるでつかない未曾有の事態となっています。危機に当たっては右往左往してしまうのが私たち凡夫ぼんぷです。

「とにかくに 心は迷ふものなれば 南無阿弥陀仏ぞ 西へゆく道 (宗祖一遍上人)」

阿弥陀様のみ光は私たちが行くべき道を常に照らしてくださいます。

 

さて、12月8日はお釈迦様がさとりを開かれた記念日として知られています。今日まで続く仏教を開き伝えられたこと、お念仏の教えを広められたことへの「報恩謝徳(恩徳に感謝し報いようとすること)」の思いを致す日でもあります。

お釈迦様はさとりを開かれるまで6年に及ぶ苦行をされていました。それは激しいもので、断食行に打ち込んだ体は骨と皮だけになってしまったといいます。しかし、この苦行では決してさとりを開くことができないと気付かれました。

苦行をやめ、ナイランジャナー河で身を清めたお釈迦様のもとにスジャータという村娘が偶然通りかかり、持っていた乳(ちち)粥(がゆ)を供養しました。これを食したお釈迦様は精気を養い、菩提樹の下で深い瞑想に入り、遂にさとりに至られたのです。ですからこのスジャータの供養には大変な功徳があるとお釈迦様自身が言われました。

ところでこの「供養」とはなんでしょう。日本では死者への弔いとして物品を捧げること、お経をあげることというイメージが強いかと思います。もともと供養とはサンスクリット語でプージャーといい、“仏や神々に対し尊敬、敬意の念をもって食物や香華灯明などを捧げること”の意味があります。ここから二種供養、三種供養と分ける考え方が生まれ、大まかにいえば物品を供える供養、修行や説法を行う供養、つまり物心両面の供養が説かれました。さらに供養は死者への弔い(追善供養)、鎮魂へと広がり、ひいては人形供養や針供養など生命以外への供養へと展開していったのです。

供養と似ている言葉に「布施」があり、こちらも施し与えることという意味あります。他者への施しもやはり物だけでなく心遣いも重要とされます。“してあげている”のではなく“させていただいている”という考え方が基本で、施していると同時に自身の修養をさせていただいているのです。同様に「供養」もお供えしていると同時に自らが養われているとも言えます。本堂やお墓で拝んでいると拝まれている気持ちになったという方は少なくないはずです。

大事なことは真心を持つことで、「供養」も「布施」も根底にあるのは“相手に喜んでもらうこと”かと思います。亡くなった方への追善供養というと難しく考えがちですが、「お経を読んでもらったら嬉しいかな」「私たちが幸せに生きているのが一番喜んでくれるかな」「恩返しがしたいな」などと想いを巡らせ実行することが身近な供養であり、そこに追善供養の意義があるかと思います。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:12月26日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 

12月限定御朱印「成道:じょうどう」

御朱印のモチーフは、お釈迦様に村娘のスジャータが乳粥を供養している場面です。

中心の「法輪」は仏教のシンボルマークと言えるもので、車輪が転がる様に仏法が広がることを表しています

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和2年)

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

11月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

【今月の掲示板】

身をかんずれば水の泡 消えぬるのちは人もなし

命を思へば月の影 いでいる息にぞとどまらぬ

 

人間とは、消えてしまえば大河にとけ込む水の泡のようにはかない存在である。命は刻一刻と姿を変える月のようであり、吸っては吐く一息一息もいつ止まるか分からず永遠不変ではない。

 

「福田寺だより」11月 78号(PDF)

 

善悪ぜんなくを説かず”

10月1日より始まりました「京都時宗道場御朱印巡り」は想像以上の反響で、専用の御朱印帳(遊行帳)を持って度々お参りの方が来られています。“檀家でも知らないお寺が多かった”、“時宗という宗派を知るきっかけとなった”、“今まで何となく近寄りがたかったお寺にも参拝できた”という喜びの声も多く聞かれ、こちらも嬉しい気持ちになります。個人的には広報担当の役割を頂きましたので、より良いものを目指しながら、多くの方々とご縁を結べるように努めたいと思っております。
また、お陰様で9月、10月の写経会にはそれぞれ十数名のご参加がありました。経文は写経で一般的な「般若心経」のほか、時宗でもお読みする『無量寿経むりょうじゅきょう』の一節「四誓偈しせいげ」、短いながらお釈迦様の威徳が説かれた「舎利礼文しゃりらいもん(舎利経)」を当初ご用意しました。さらに先月は宗祖一遍上人の作である「誓願偈文せいがんげもん」も新たに写経の題材としました。
この「誓願偈文」は「発願文ほつがんもん」と呼ばれたり、宗派内では冒頭の部分から「我が弟子等」と呼ばれたりします。日用勤行式にも入っており一遍上人のお言葉として最も身近であると思い選ばせていただきました。「誓願偈文」の誓願とは、神仏に対して誓いや願いを述べたものを言い、弘安9年(1286)、一遍上人が48歳のときに当麻たいま寺(奈良県葛城市当麻)に参詣された折に書かれたといいます。もとは漢文で4字33句(こういった詩句を偈頌、偈文といいます)から成っていますが、普段の勤行では和文にしてお読みします。
内容は念仏の行者の日頃の心構え、名号「南無阿弥陀仏」に帰依する誓い、阿弥陀様や諸仏諸菩薩からの守護、そして極楽往生への願いです。この中に「善悪を説かず、善悪を行ぜず(不説善悪 不行善悪)」という句があります。日常、私たちは法律や社会のルールなどを基準に善や悪、正しさや過ちを考えます。ただし、この価値観は絶対的なものではありません。時代により善悪の判断は変わりますし、もっと身近なことで言えば“良かれと思ってしたことが迷惑だった”などという話はよくあります。つまり凡夫である私たちの「善悪」の判断は必要ながらも絶対ではないということです。本当の正しさというのは仏様の立場でしか分かりません。ですから一遍上人は「人の行為について必要以上に善悪を説くことなく、自らの行為に必要以上に善悪の基準を持ち込まない」、とおっしゃられたのではないかと私は思います。ともかくに自分自身が凡夫であることを自覚し、念仏をお唱えすることが肝要であり、その時にこそ図らずも私たちが日頃作ってしまう罪障は取り除かれるのです。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:11月28日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 

11月限定御朱印

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和2年)

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

10月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

「福田寺だより」10月 77号(PDF)

 

“仏教の豊かさ”

草木の葉が日ごとに彩りを変えていきます。秋は「実りの秋」、「豊穣の秋」とも申しますが、穀物や果物の収穫によって人々が“豊かさ”を実感する季節だということでしょう。

この豊かさは「幸福度」とも言い換えることができるかと思います。国連が毎年発表している「世界幸福度ランキング」で日本は156ヶ国中62位でした。「人口あたりのGDP・社会支援の充実度・健康寿命・人生における選択の自由度・社会における寛容度・腐敗に関する認識度」の6つ項目でランキングされるということですが、日本は決して上位ではなくむしろ先進国では最低レベルなのです。6項目のうち後半の3項目で精彩を欠いたようですが、これにはなんとなく納得できる部分もあるかと思います。

また大人に限ったことではなく、先月、7年ぶりに実施された国連児童基金(ユニセフ)の子供の幸福度調査において、日本は先進国38ヶ国中20位という結果でした。体の健康の分野では1位となる一方、精神的な幸福度は37位となっており顕著な差が見て取れます。

この調査を全面的に真に受ける訳ではありませんが、それでもやはり“豊かさ”への課題はまだまだあるということでしょう。豊かさには物質的なもの、精神的なものの2つがあるかと思います。仏教ではこのうち精神面の豊かさを上位に置きます。もちろんお金や、食べ物なども必要不可欠ではありますが、物質的なものは外からの影響も強く、幸福も不安定かつ一時的なものです。また、つい人は物質的な幸福を得るとさらに欲望を高め、必要以上、際限のない欲望を出してしまいがちです。これを三大煩悩のうちの貪欲といいます。満たされなければストレスは増大し、外との不和にも繋がります。

精神的な豊かさというものは自分の内側から来るものです。先ほどの物質的な幸福が外から与えられるものであるならば、精神的な幸福は内側から与えるものであるかと思います。他者に利益をもたらすことで自分も幸福になるということです。この限られた世界で、分かち合い、共に生きるという精神は自他共に幸福を得られる鍵となりましょう。仏教で最高の境地である涅槃(覚り)はこの精神の充足が欠かせません。

仏教エピソードの一つとして「4人の妻を持つ男」というお話があります。ある男には4人の妻がおり、第1から第3夫人は日頃可愛がったり大切にしたりしていたのに、男の旅立ちにはついてきてはくれず、大事にしていなかった第4夫人だけが旅の付添いを申し出てくれ、この第4夫人の有難みに気づくという内容です。ここで第1、第2、第3夫人に喩えられているのは肉体・財産・家族(親族)で、旅立ちとは「死」のことです。肉体や財産などはいくら大事にしていてもあの世にもっていくことはできません。そして第4夫人とは心や生前の行いを指します。心は死に帰するにも付随し、生前の行いは遺された人々へも影響を与えます。

“気づくのが遅かった”とならないようにしたいものです。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:10月24日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

*今月から「京都時宗道場御朱印巡り」が始まります*

 

10月限定御朱印


年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

「福田寺だより」9月 76号(PDF)

 

“お布施のはなし”

今年のお盆は新型コロナウイルスの対策のためマスクをして棚経を回りました。また、棚経やお墓参りを遠慮して、本堂での回向をお願いしますとおっしゃる方も少なくなく、まさに特別な夏というものを感じました。一刻も早い終息を願うばかりですが、このような事態に際し私たちも正しく恐れ、正しく行動しなければなりません。仏教でいう「中道ちゅうどう」の実践です。

お釈迦様は“琴の弦”にたとえて次のように中道を説明されました。根を詰めて激しい修行するも結果が得られず、焦っている修行僧に対し、

「琴は弦を張りすぎても緩めすぎてもよい音はならない。修行も同じことだ」と説かれたのです。

中道とは片一方に偏らず、両極端の調和を目指す姿勢だと考えられます。話を戻すと、今現在大切なことはウイルスへの警戒感をもって行動し、しかしそこに執着しないようにするということでしょう(執着は他人への批判ばかりに目がいったり、罹患者への差別に繋がったりしかねません)。

さて、今月は例年の通り秋の彼岸施餓鬼会を行います。このような状況ですから是非本堂におあがりくださいとは申せませんが、ご先祖様や生きとし生けるもの全てへの供養を行う大事な法要であることは変わりありません。この彼岸とは“あちらの世界”、つまり覚りの世界をいいます。浄土のご先祖様に思いをはせつつ、自らも修行として「六波羅蜜ろくはらみつ」の実践を心掛けるのがお彼岸の意義と言えましょう。

去年のお彼岸のお便りに六波羅蜜のひとつである「忍辱にんにく(自らのために耐え忍ぶこと)」について書かせていただきました。今回は「布施」をご紹介します。布施は六波羅蜜のうち最も重要とされる修行です。どうしても「お布施」が思い浮かび、お寺や僧侶に渡すお金のことかと思われるかもしれませんが、実はそうではありません。

布施はインドの言葉で「ダーナ」といい、意味は“施し与えること”です。漢字では「檀那」と当てられます(ここから関連して菩提寺へ布施する家を檀家と呼びます)。具体的には「金品を施すこと(財施)」「仏様の教えを説くこと(法施)」「災難に遭った人の恐怖心を取り除くこと(無畏施)」が挙げられます。

また「無財の七施(しちせ)」という教えもあり、他者に対しての「優しいまなざし」や「笑顔」、「柔らかな言葉遣い」「座る場所を譲ること」なども布施の一つとして説かれています。そして、ここで大切なことは施しや親切に“見返りを求めない”ということです。「自分が何かをしてあげた、親切にしてあげたから見返りが少しはあるだろう」と考えるのは布施ではありません。させていただいたことに感謝するのが道理で、何か返してくれというのは自分勝手ではないでしょうか。

お釈迦様は“誰に、何を施したか”を忘れなさい、さらに自分が布施したということも忘れなさい、とおっしゃっています。布施という善行は、一つから雪だるま式に10倍、100倍、1000倍の功徳が生まれるといわれますから、相手にこだわる必要はないのです。布施する人、される人、共に感謝の心を持つことが大事と言えましょう。

合掌

 

【次回の写経会開催予定:9月26日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

9月限定御朱印(300円)


年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期→10月1日より開始決定

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

8月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

「福田寺だより」8月 75号(PDF)

 

多聞たもん第一の阿難あなん尊者”

7月初めより断続的に続いた豪雨は熊本県を中心に九州・中部地方など広範囲にわたり甚大な被害をもたらしました。被災された方々に心よりお悔み並びにお見舞い申し上げますとともに、早期復興を祈念いたします。

さて、前回はお釈迦様の十大弟子ということで、智慧第一の舎利弗尊者をご紹介しましたが、今回は阿難(アーナンダ)尊者をご紹介させていただきます。実は、諸説ありますがお釈迦様とは従弟という関係だと伝わります。お釈迦様と同じく王子の身分でしたが、仏門に入り、お釈迦様が亡くなるまでの25年間常にそばに仕え、教えを最もよく聞いて覚えていたので「多聞第一」と称されます。当時、教えを書いて残すことはなく、口伝で伝えられたので、“よく聞いて覚える”ということが大変重要だったのです。

阿難尊者はかなりの美男子で、女難に遭うということもしばしばあったそうですが、修行には実直で、情にも厚かったようです。ある時、お釈迦様の養母であるマハーパジャーパティ夫人をはじめとする女性たちが出家を申し出たところ、お釈迦様は男性集団の中に女性が入ることを案じられ、入門を断られました。諦めきれない彼女たちに、阿難尊者が助太刀して、大変な熱意でお釈迦様を何とか説得したといいます。ここに初めて女性の出家修行者(比丘尼)が誕生したのです。

また、阿難尊者の多聞第一の才能はお釈迦様が亡くなった後の教団の発展に大きく寄与しました。お釈迦様の入滅後に初めて弟子たちによる大規模な集会(結集ルビといいます)が行われた際、最も教えをよく聞いて覚えていた阿難尊者が他の弟子たちの前でお釈迦様の教説を話し、それを確認し合い、皆でともに唱えました。「結集」には「ともに唱えること」という意味があり、「合誦ごうじゅ」とも訳されます。これこそ今日、私たちがお唱えする「お経」の始まりなのです。お経の冒頭は多くが「如是我聞にょぜがもん(このように私は聞いた)」から始まりますが、この「私」とは本来は阿難尊者のことということになります。

阿難尊者は入門後もなかなか覚りを開けず、ついにお釈迦様の入滅にも間に合いませんでした。しかし、諦めることなく、結集を前にして発奮しついに覚りを得たということです。教えを常に聞いて、心に留めていた結果ではないでしょうか。

時々「お経は何のために唱えるのですか」と聞かれることがありますが、その理由の一つは、“教えを忘れないようにするため”だと思います。阿難尊者のようにすべて覚えることは叶いませんので、少しでも“復習する”ことが大切ではないでしょうか。「お経は聞いていても意味は分からないけど、有難い気がする」という方も、そこから一歩、「教えの意味に触れたい」と思っていただければ誠に有難いです。

合掌

 

 

~写経会のご報告~

先月25日の写経会には7名のご参加がありました。足元の悪い中お参りいただき有難うございました。初開催でバタバタしましたが、今後に向けてよりよいものを目指していきたいと思います。どうぞお気軽にご参加ください。

【次回の開催予定:8月22日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから

 


年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

7月のお便り(令和2年)

今月の言葉

舎利弗しゃりほつの仏の光明は無量にして十方の国を照らすに、障碍しょうげする所無し。是の故に号して阿弥陀と為す。」

〈【意訳】(お釈迦様が阿弥陀仏の説明をして)舎利弗よ、かの仏の光明は無量であり、十方の国を照らすに障害となるものはない。それ故にかの仏の名を阿弥陀(サンスクリット語のアミターバの漢訳。無量の光を意味する)という。〉

「福田寺だより」7月 74号(PDF)

 

“智慧第一の舎利弗しゃりほつ尊者”

気温、湿度共に高くなって参りました。今年はマスク必須の夏を迎えそうですが、熱中症には十分ご注意ください。

今月はお釈迦様の十大弟子の一人、舎利弗(シャーリプトラ)尊者をご紹介させていただきます。十大弟子とはお釈迦様の弟子たちの中で主要な10人を指します。その中でも舎利弗尊者は、筆頭の存在で、同期入門の目連もくれん尊者と並び二大弟子とも言われます。
十大弟子にはそれぞれ特に優れた一面から「〇〇第一」という尊称がつけられており、舎利弗尊者は「智慧第一」と称されました。先月のお便りでも申し上げましたが、この「智慧」とは知識のことではなく、物事の道理や特性を見抜く力のことを言います。

実は舎利弗尊者は、お釈迦様と出会うまでは目連尊者と共にサンジャヤという人物の高弟でした。お釈迦様の弟子から教えを聞き、すぐに250人の修行者を連れて入門しました。まもなく覚りを開くと教団の指導的役割を担ったといいます。仏教ではお釈迦様と同様に覚りを開いた人を阿羅漢あらかんと呼びます。

さて、舎利弗尊者を知らなかったという方もおられると思いますが、実は多くの方がお名前を耳にしているはずです。様々な経典の中で、仏様との対話相手として智慧の優れた舎利弗尊者が登場するからです。
例えば、『阿弥陀経』には、短いお経の中に「舎利弗よ」という呼びかけが36回も出てきます。
また、『般若心経』の冒頭に出てくる「舎利子しゃりし」という語も舎利弗尊者のことです(インドの言葉を翻訳するときに、訳者によって違う漢字があてられることも多くあります)。

ところで、お釈迦様の後継者とも目されていた舎利弗尊者ですが、それを果たすことはありませんでした。晩年に重い病気を抱えていた舎利弗尊者はお釈迦様にいとまごいし、数十年ぶりに母の元へ帰郷しました。そこで母に仏教を説くと大いに喜ばれましたが、にわかに体調を崩し、母に見守られながら息を引き取りました。
お釈迦様の悲しみは大変深いものでしたが、他の弟子に対して、“この世に変化しないものはない”という「無常」の真理を覚ること、悲しみを乗り越えて自らの歩みを止めないことを説かれました。

合掌

 

~写経会のご案内~

*新型ウイルスの影響で開催を見合わせていましたが7月から開始させていただきます。

開催日 : 毎月 第4土曜日(7月25日、予約不要)

時 間 : 午後2時~5時(お勤めを2時から行いますが、時間内にいつ来ていただいても構いません。解散は各々自由です。)

持ち物 : 小筆(購入も可能です・貸出用もあります)

志納金 : 1,000円

*詳細はお問合せ下さい

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

6月のお便り(令和2年)

今月の言葉

しりてしらざれ、かえり愚痴ぐちなれ」

〈(意訳)知識を得ても知識にこだわらず、知恵がついてもおごり高ぶることがないようにしなさい。〉

「福田寺だより」6月 73号(PDF)

 

“知恵と智恵”

緊急事態宣言が全面解除され、少しずつですが日常を取り戻しつつあります。しかしながら油断大敵です。外出の際はこれまで通り、手洗い、うがい、消毒などの徹底を心掛けたいものです。

コロナ禍において多くの人々が苦しめられています。かつてお釈迦様はこの世を「一切皆苦」と表されました。この苦というものは、新型ウイルスによって突然もたらされたのではなく、何気ない日常に潜み、隙あらば私たちに襲い掛かるのです。苦の代表ともいえるものが「生・老・病・死」で四苦と呼ばれます。生を繋ぎながら死に向かう、その道々で苦に出会います。お釈迦様はまずこの四苦を克服することを願い修行を始められたといいます。

誰しもに平等にやってくるこの苦には原因があります。それは、“求めても自分の思い通りにならない”ことです。四苦だけでなくありとあらゆる苦しみに当てはまります。「なぜ欲しいものが手に入らないのか」「どうして自分だけがこんな目に合うのか」、自分や自分の所有物に固執するとこのように考えてしまいがちです。さらに、弱っているときほど周りが順風満帆に見えて、さらに苦しむという悪循環を起こしてしまいます。どのように苦と向き合えばいいのでしょうか。

私たちは生きる中で言葉と共に多くの知識を得ます。これは実生活では大変役に立ちますが、多くの知識を得て自分の中の常識ができてくると、「〇〇はこういうものだ」、「〇〇はこうすべきだ」といったように、それらに縛られてしまうことがあります。ここにこだわりが生まれ、思い通りにならず苦の原因となるのです。だからこそ仏教では非常識こそが大事なのではないかと思います。なにも顰蹙ひんしゅくを買うような言動をすべきというのではなく、ものごとの両面を考えるということです。常識が表とすれば、非常識は裏、表裏一体ですからどちらも大事です。総本山の他阿真円上人は100歳であられますが、「もう90歳ではない、まだ90歳だ」とよく仰っていました。

かつて伊予国(愛媛県)に仏阿弥陀仏という尼僧がおられました。この尼僧は、習わずとも仏法の要点を自然と語ることができ、常の心得として「しりてしらざれ、かえりて愚痴なれ」と言われたそうです。宗祖一遍上人はこの姿勢を「浄土教の教えにかなっている」と仰いました。まさに“知恵”(知識から来る心)を超えた“智恵”(ものごとをありのままに観る心)ではないかと思います。常に心に留めておきたいものです。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り(令和2年)

今月の言葉

「仏も衆生しゅじょうへだてなく 彼此ひし三業捨離さんごうしゃりせねば 無礙光仏むげこうぶつもうすなり」

〈念仏を唱えるとき、仏様と人との隔たりは無くなり、両者の行為は和合する。阿弥陀仏の別名を無礙光仏(隔たりがない仏)というのはこの由縁である。〉

「福田寺だより」5月 72号(PDF)

 

“ 3密と三業さんごう

緊急事態宣言から1か月が経とうとしておりますが、まだまだ先行きが見えない状況です。「ステイホーム」(お家で過ごそう)を合言葉に全国的に3密(密閉空間、密集場所、密接場面)の回避、外出自粛が求められています。皆様不安な日々を過ごされているかと思いますが、このような時こそ仏道に基づいて、正しく冷静な行動を心掛けたいものです。

さて、最近よく耳にするこの「三密」という言葉は、真言密教では「身密・口密・意密」の三密を指します。
また、仏教には似た言葉に「三業さんごう」があります。私たちではこちらの三業という言葉をよく使います。「業」は「行為」という意味があり、私たちの行為は大きく3つに分けることができます。
身体を使った行動の「身業しんごう」、口からでる言葉による「口業くごう」、心の活動である「意業いごう」、この身口意による行為が「三業」と呼ばれます。

唐の善導大師は『観無量寿経疏』の中で、
「衆生、行を起して口常に仏を称すれば、仏すなわちこれを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわちこれを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわちこれを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまう。彼此の三業相い捨離せず」と説かれています。
身口意の順番は違いますが、口には念仏、身は礼拝や合掌、心には阿弥陀様を念じるという私たち念仏者の在り方、そして同時に仏様も私たちの身口意の三業に応じてくださるということが示されています。私たちが阿弥陀様を常に想い続ければ、阿弥陀様も私たちを想い続けてくださいます。ご先祖様もきっとそうでしょう。私たちが忘れずに想えば、ご先祖様も忘れずに想ってくださるはずです。

ところで、「自業自得」とあるように自らの業(行為)は自らへと返ってくるのが鉄則です。しかし、お釈迦様がいらっしゃった時代、このような考え方とは異なる思想もありました。例えば、現世の運命は過去世の行いによって決まる、または神によって決められているという運命論・宿命論的な考え方。悪行や善行をしても意味はなくその報いを受けることはないと考える道徳否定論。お釈迦様はこういった考え方を否定し、あくまで「因果応報」、行為とその結果を重視されました。

現在、新型肺炎により世の中はパニック状態です。こういう時こそ人間の弱い部分は現れやすく、差別的な言動が横行してしまいます。自らの言動に責任を持ち、その行為が自らに返ってくるものと自覚することが肝要であると言えましょう。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)