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11月のお便り

今月の言葉

「臨終 即 平生へいぜいなり」

(臨終というのは死に際だけではない。一瞬一瞬、一念一念に生と死は繰り返されている。)

『一遍上人語録』

 

“ 真教上人七百年御遠忌 成満 

台風19号が東日本を直撃し甚大な被害を及ぼしました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興を願うばかりです。

被災した遊行寺大イチョウ

神奈川県藤沢市の総本山遊行寺も被災しました。樹齢700年で本山のシンボルとも言える大イチョウの一部が、強風により折れてしまいました。樹高21メートル、幹回り7メートルで市の天然記念物でもありました。再生を願いたいと思います。

奇しくも、10月11日~15日は「二祖真教上人七百年御遠忌」法要が修されており、私も裏方として出仕しておりました。台風直撃はまさに御遠忌真っ只中で、多くの団体参拝はキャンセルになったものの、何とか法要全てを成満することができました。

思い返せば本御遠忌は「なむあみだ佛はうれしきか」をスローガンに掲げ、昨年9月16日の神戸・真光寺での「有縁の地法要」から始まりました。さらには福井県敦賀市の来迎寺、氣比神宮で記念法要が勤められました。そして、今年の2月27日の開白法要を皮切りに本山において毎月様々な法要が行われ、10月の結願法要を迎えたのです。住職は「二祖上人七百年御遠忌実行委員会」の委員として、私は広報部会員として御遠忌に携わらせていだき、時宗教団の礎を築かれた真教上人の恩徳を偲ぶとともに、祖師方より受け継がれてきた念仏の教えの喜びを広く分かち合えるようにと注力してまいりました。京都教区においても、京都国立博物館で御遠忌特別展、並びに「踊躍念仏」法要の公演、合同での本山団体参拝と、多くの檀信徒の皆様が御遠忌に触れていただくことができました。

結願法要 (右:他阿真円上人) (左:当山住職)

 

「なむあみだ佛はうれしきか」とは、宗祖一遍上人が真教上人にかけられたお言葉で、念仏に生きる喜びをよく表していると思います。真教上人もそこに強く共感し教団の後継に尽力されたのです。時宗の教えでは、命が尽きる時に極楽往生を遂げようという考え方よりも、生きている“今”、念仏を称えて往生を果たそうという「平生往生」が強調されます。“往生=死”ではなく、念仏することにより自分が様々な命に生かされている、絶対的な仏である阿弥陀仏のみ光に包まれているのだと気づくことが大事なことだと説かれます。

今回の御遠忌を通して学んだこと、感じたことを今後に生かしていきたいと存じます。

合掌

「福田寺だより」11月 66号

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

10月のお便り

今月の言葉

「一代の聖教の所詮はただ名号なり」

(お釈迦様が一代で説かれた教えの究極は、名号「南無阿弥陀仏」に結着する。)

『播州法語集』

 

“救いは行動にある”

時宗総本山護持会カレンダーの10月の格言はご覧になったでしょうか。

「救いは行動にある」です。これは一遍上人を敬愛した詩人・坂村真民さんの「行動」という次の詩の一節です。

“救いは行動にある 行動すること 打坐も読経も 行動を伴って しんに生きてくる”

打座とは只管打坐しかんたざのことであり、“ただひたすらに坐禅する”という道元禅師の教えです。読経とは経典を読むことで、つまるところ口に称える念仏と言えるでしょうか。「救い」というのは仏様が救ってくださる、また自らが他者を救う、という両面であると感じます。いずれにせよ思いだけではなく、行動が伴わなければ願いは叶わないということです。

一遍上人は法語の中で、「お釈迦様の教えは最終的に念仏に集約されている。諸々の経典で阿弥陀仏の功徳について説かれており、浄土三部経(『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)においても、念仏の教えを明らかにすること、念仏を勧めることが説かれている。このことを知りながら、学問や経典の研究ばかりして念仏を忘れているのは、他人の財産をむなしく数えるようなものだ。一向に自分の身にはならず、金千両の引換券を持っていても使わないでいるようなものである」と説かれました。もちろん経典をおろそかにしてよいという訳ではなく、理論ばかりで行動が伴わない“頭でっかち”への教訓です。同様に念仏は“極楽浄土行き”の切符に例えられることがあります。切符をせっかく持っていても列車に乗り込まなければ、救いも何もないということです。

一遍上人はまさに身体的、行動的な聖(ひじり)でした。口称念仏はもとより、「遊行」(全国を行脚し布教すること)、「賦算」(手ずから念仏札を配られること)、「踊り念仏」(念仏救済の喜びを表した踊り)という時宗三大行儀にもすべて通じています。教義云々を頭で「理解する」、「信じる」ということよりも、その場で身体を通して「感じる」ということに重きを置かれたことが分かります。

また、私も人のことを言えた義理はありませんが、心に何かを思っても行動に移せない人は割と多いのではないでしょうか。あるいは得られた知識だけで満足してお終いということはありませんか。インターネットが発達し、コミュニケーション不足、現代社会だからこそ、知識や言葉だけでなく行動・体験が重要になってくるのだと思います。最近の御朱印巡りや体験型の観光地の流行はこの一端かもしれません。

理屈に縛られず、“まずは一歩”と踏み出したいものです。

合掌

「福田寺だより」10月 65号

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月のお便り

今月の言葉

「怒りに等しい損失はない」

『法句経』

“智恵あるものに怒りなし”

最近、またしてもメディアを騒がせた高速道路での「あおり運転」。2年前の痛ましい「東名高速夫婦死亡事故」の記憶も新しく、厳罰化等、早急な対策が求められています。

「あおり運転」も含め、暴力沙汰の加害者になりやすい人の特徴としては、ストレス耐性の低さが挙げられるようです。例えば、運転中には当然他の車や信号、歩行者、走行速度、到着時間など気にしなければいけないことも多く、そのストレスへの忍耐力が低いと、怒りを生み出してしまうということです。

お釈迦様は、怒りそのもの自体も損失であるとおっしゃり、また、怒りをぶつけられたときも決して怒り返してはならないと説かれました。

「怒り」に関する次のようなエピソードが残されています。

ある時、異教徒の青年がお釈迦様に向かって罵詈雑言を並べました。お釈迦様は黙って暴言を聞いておられましたが、青年が話し終わると、静かに尋ねられました。

「あなたは、お客を家に招くことがあるか」

青年は答えます。「もちろんだ」

「お客がそのとき、あなたの出した食事を食べなかったらどうするか」

「自分や家族で食べるだろう」

「今あなたが出した罵り、侮辱を私は受け取らなかった。その罵り、侮辱は、誰のものになるのか。自らに返ってくるよりほかないだろう」

さらに偈頌(詩文)で次のように示されました。

“侮辱する人に侮辱を返す人 怒る人に怒りを返す人 喧嘩を売る人の喧嘩を買う人

侮辱はその人のものになる 怒りはその人のものになる  喧嘩もその人のものになる”

お釈迦様のこの言葉で青年は恥じ入り、仏教に帰依するようになったということです。

“売り言葉に買い言葉”とも言いますが、ついつい私たちは何か心外なことを言われると、言い返したくなります。ここに意地やプライドが混じってくると、怒りが怒りを呼び、さらに事態は悪化してしまうことは皆さん経験があるのではないでしょうか。お釈迦様のように相手のどのような態度にも動じず、寛容な心で接するというのは難しいかもしれませんが、相手の喧嘩を買ってしまえば、相手と同じ土俵に立ったことになるというのは肝に銘じておかなければなりませんね。

間もなく迎える秋のお彼岸。お彼岸というのはご先祖様の供養のほかに、仏道修行の期間という意義があります。先ほどのエピソードは「忍辱にんにく」(自らの修行のために耐え忍ぶこと)という仏教の実践に当てはまります。“智恵あるもの”を目指して精進したいものです。

合掌

「福田寺だより」9月 64号

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)