【12月の写経会は28日です】
*写経会の詳細は こちらから
【今月の掲示板】
『成道の日』
急激に朝晩の冷え込みが厳しくなりました。長い夏が終わったと思ったら、急に冬になってしまいましたね。年々短くなっているような「秋」が来年はどうなるのかと今から心配です…。
さて、12月8日はお釈迦様がさとりを開かれた記念日、「成道の日」です。インドの釈迦族の王子であったお釈迦様は、身分を捨てて出家し、6年にも及ぶ厳しい修行の末さとりを開かれました。最も過酷な苦行の一つである断食を長年続けられ、その身は骨と皮だけのようなお姿だったと伝わります。ただしお釈迦様はこの苦行や断食行によってさとりを得られたわけではありません。むしろ苦行は正しいさとりへの妨げとなることに気づかれたのです。そしてナイランジャナー川で沐浴し体を清めたのち、幸運にも村娘スジャーターに出会い、彼女から乳粥の供養を受けられました。英気を養ったお釈迦様は菩提樹の下に座り、ついに正覚を得、成道を完成されました。ですからこの12月8日は仏教の始まりの日でもあります。
そもそも、お釈迦様がなぜ王位を捨て、妻子とも別れ、出家したかをご存じでしょうか。その契機は「四門出遊」の伝説として語り継がれます。
お釈迦様が若き王子であった頃、馬車に乗って遊園に出かける折、城の東門を出ると「老人」を見、次の外出では南門で「病人」、また次には西門で「死人」を目の当たりにされました。そのたびにお釈迦様は「あれはなにか」と従者に問いかけられたと言います。「老病死」が誰しも避けられない苦しみであると知ったお釈迦様は大いに心悩まれたそうです。最後に北門を出たときに円満な出家修行者を見て、自分の求める道はこれに違いないと決意された、という逸話です。
東から南、そして西へという方角は太陽が昇り沈む方角でもあります。まさに抗えるものではなく老病死はやってきます。生きる上でこの苦しみは避けられませんので、これを仏教では「生老病死」の四苦と呼びます。苦とは「思い通りにならない」ということでもあります。
老病死の苦悩は現代の私たちにも当てはまるものであり、また生きる上での苦悩は物質や情報があふれている分、複雑化しているようにも思います。お釈迦様は「応病与薬」と言われ、病気、病状に合った薬を出す医者のごとく、その人の苦悩に応じて教えを説かれました。だからこそ多くの教えが残されていて、どんなきっかけでも入口があるのが仏教のように思います。
お寺に来るとつい悩みや愚痴が出てしまうという方もいらっしゃいます。お釈迦様のようにという訳にはいきませんが、私もなるべく仏様の教えをもとに悩みの解消にお役立ちできればと思っております。改めて「成道の日」に当たり、お釈迦様の教えに感謝したいと思います。
合掌
・当月限定御朱印
①片面「雪月」
12月の異称です。早くも雪の季節になりましたね⛄️
雪が積もった椿と網代笠姿のお地蔵様です。
②見開き「成道の日」
12月8日はお釈迦様がさとりを開かれた成道(じょうどう)の日です。さとりの直前に乳粥を供養したスジャータ、菩提樹とお釈迦さまをイメージしました。
③見開き書置き「百人一首/山部赤人」
百人一首をモチーフにした和歌御朱印です。
「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」
【田子の浦の海辺に出て仰ぎ見ると、白い布を掛けたような真っ白い富士の高嶺が見え、そこに雪が降り続いていることよ】
作者の山部赤人、奈良時代初期の宮廷歌人です。
霊峰富士の神々しいばかりの真っ白さと田子の浦の青の対比が際立ちます。
初めて富士山を遠く望んだ時の感動が思い起こされるようです。
④写経奉納限定御朱印
おでんと大掃除をする猫です😸
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。(ホームページから写経用紙も印刷できます)
⑤来寺限定御朱印
1月から新たに授与させていただきます✨
「ようおまいり」は関西ではお参りした方にお掛けする言葉で知られています。
*授与は直接ご参拝の方に限らせていただきます
>「京都時宗道場御朱印巡り」
年間行事予定(令和6年)
・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり
・毎月第4土曜日14時~17時…写経会
・1月14日…総代会
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・4月8日…花まつり(釈尊降誕会・法要は1時より)
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
空を自由に飛翔する龍にあやかり、飛翔の一年となることを願い授与いたします。
右下のハンコは「辰」の漢字をイメージしています。
朱色と緑色は書き置き限定の御朱印で「龍騰」と揮毫させていただきました。
騰は高く上がる、盛んで勢いがある様を意味します。