タグ: 花まつり

4月のお便り(令和4年)

【今月の掲示板】

 

“桜とご縁”

新年度が始まりました。4月8日には、お釈迦様の誕生日を祝福する「降誕会(ごうたんえ)」があります。昨年は初めて本堂前に誕生仏を出してお祝いしました。今年もお飾りする予定ですのでお参りの際はぜひご覧ください。

お釈迦様はルンビニー園という花園でお生まれになりました。伝承では、お母様であるマーヤー夫人がお産の帰省途中に立ち寄った際に、アショーカ(無憂樹)の花が咲いていたので手を伸ばしたところ夫人の右脇から出生なされたといいます(脇から生まれるというのは古代インドの高貴な身分の出生を表すとされます)。このような誕生説話、そしてこの時期日本では桜が開花するということもあり、お釈迦様の誕生のお祝いは「花まつり」と呼ばれるようになりました。

桜は日本人にとって最もなじみ深い花かと思いますが、その人気は平安時代までさかのぼるといいます。奈良時代までは和歌で単に「花」といえば、中国から伝来した梅のことを指していましたが、平安時代は国風文化の影響とともに「花」は桜のことを指すようになりました。優雅な姿とともに散り行く儚さも桜の魅力の一つです。福田寺開基・宗尊親王(むねたかしんのう)も「春ごとに とまらぬものを 花と言ひて 今年もいたく 散る桜かな」(毎年の春に咲いては散ってとどまらないものを花というのであって、今年もいたく散っていく桜であることよ)と詠まれています。年がら年中咲き続けていては、どのように美しい花でもこれほど人の心を打つことはないのです。この無常観は仏教の「諸行無常」という考え方が強く影響しています。「ものごとに不変のものはなく、すべては移ろいゆく」というお釈迦様が示された真理です。

草木が成長し、花が咲き、実をつける、という変化は当然のように見えますが、そうではありません。この変化には常に「縁(えん)」が必要です。縁とは変化の補助となるもので、植物にとっての縁は土や太陽、水といったものです。私たち人間の成長、変化にも縁が常に働いています。今ある自分は無数の縁の中で存在していると気が付けば、自ずと周りに感謝の心や報恩の言動が生まれるのではないでしょうか。そしてその心や言動は良縁となり幸せが繋がっていくはずです。出会いの春、気持ち新たに多くのご縁を結んでいきたいものです。

合掌

 

・令和4年4月限定御朱印(片袖の弥陀・300円

当山の御本尊である阿弥陀如来像は右袖が垂れていないので「片袖の弥陀」とも言われます。

4月はお庭に咲くヤマブキをモチーフにしております。

 

・令和4年4月限定御朱印(降誕祝福・800円)

お釈迦様の誕生日である4月8日の降誕会(花まつり)をモチーフにしています。お釈迦様はルンビニーの花園でお生まれになり、すぐに「天上天下唯我独尊」と宣言したと伝わります。

 

令和4年4月限定御朱印(宗尊親王和歌、黄緑色柄付き和紙、見開き書置き800円)

「宗尊親王和歌シリーズ」です。親王像の絵は御奉納いただいたものを参考にしています。宗尊親王は当山の開基(創建者)です。史上初の皇族将軍として鎌倉幕府6代将軍に就き、その後更迭されるなど波乱に満ちたご生涯を過ごされました。和歌に非常に長けられ多くの作品を残されました。

「春ごとに とまらぬものを 花と言ひて 今年もいたく 散る桜かな」

解釈:毎年の春に咲いては散ってとどまらないものを花というのであって、今年もいたく散っていく桜であることよ)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり4 月)

タケノコが気になる猫とヒヤシンスです。
お写経を納め、阿弥陀様から「みました」の証を頂いてください。

 

令和4年限定「勇猛精進」1000円

「勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)」とは強く勇ましい志で努力することをいいます。

「一日の計は寅にあり」とは一日の計画・目標は朝に決めることが肝心だということわざです。

左上のハンコは丑年と同じく、中国の古代漢字の「寅」をモチーフにしています。

 

【4月の写経会は4/23(日)です(蔓延防止措置中であれば中止します)】

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和4年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり

・毎月第4土曜日14時~17時写経会

・1月9日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・4月8日…花まつり(釈尊降誕会)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

「4月 83号 天上天下唯我独尊」(PDF)

天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん

今年は2月、3月の平均気温が高かったこともあってか桜の開花が早かったようです。桜の開花には春の温かい気温だけでなく、秋冬の厳しい寒さも必要だそうです。私たちもコロナ禍で厳しい時勢を過ごしておりますが、終息を信じ乗り越えていきたいものです。

さて4月8日はお釈迦様の生誕を祝う「灌仏会(かんぶつえ)」の日です。龍王が産湯として甘露の雨をそそいだこと(灌頂かんじょうの儀式)にちなんでこのような名称があり、他にも「降誕会(ごうたんえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」などの名があります。また日本では桜の時期ということや、誕生の時にアショーカ(無憂樹)の花が一斉に咲き乱れたという伝承から「花まつり」という呼び方が広まっています。一般的にお寺では「誕生仏」という小さいお釈迦様の像に甘茶をかけてお祝いをします。福田寺でも花でお飾りした「誕生仏」を8日にお祀りしますのでどうぞご参詣いただければと思います。

お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩み「天上天下唯我独尊」と宣言されたという伝説があります。この「七歩の歩み」については去年のお便りで“お釈迦様が六道輪廻の苦しみを超越する存在であることを表している”と解説させていただきました。では「天上天下唯我独尊」とはどのような意味でしょうか。

「七歩の歩み」と同様にこれらの表現の裏には意図があるかと思います。生まれたばかりの赤ちゃんが歩いて言葉を発するのは現実的ではないからです。だからといってただお釈迦様を神格化するためだけの空想というのでは味わいがありません。

「天上天下唯我独尊」の宣言をそのまま読めば“この世において、私が唯一の尊い存在である”という意味になります。特に「唯我独尊」の部分は辞書でも傲慢やうぬぼれといった意味で用いられることがありますが、もちろん誤った使い方です。お釈迦様の生涯はもとより数多くの伝承で彩られています。それは伝記を作成した人々が崇敬の念をもってお釈迦様を後世に伝えているからに他なりません。南方系の経典にはこの宣言の後に「これが最後の生まれ変わりである」とあります。つまり伝記の作者はお釈迦様が「仏陀(さとりを開いた人)」となり輪廻転生の苦しみから解脱されたことへの感動、崇敬をこの誕生の宣言に託しているのです。

また原意からは外れますが「唯我独尊」の“我”をお釈迦様ではなく一人一人の人間だと考える読み替えもあります。人間の絶対的な尊厳を表す言葉としてとらえるのです。「誰かと比べる必要はない。この世にあなたはただ一人、何も持たずとも尊いのである」というメッセージは現代の私たちに大切な気付きを与えてくれるのではないでしょうか。

ふと時宗月訓カレンダーを見ると、4月の言葉は「あなたはあなたであればいい」でした。

合掌

令和3年4月限定御朱印(見開き)

 

令和3年4月限定御朱印

 

写経奉納限定御朱印(月替わり4月)

【次回の写経会開催予定:4月24日午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

7月のお便り

 

“祇園の守護神”

記録的な梅雨入りの遅れ、令和初の台風というニュースがあり、今後の気象予報も気になるところです。

さて、これからの季節はお祭り、京都では特に祇園祭の季節というイメージが強いのではない でしょうか。祇園祭は八坂神社の祭礼として知られ、9世紀より続く日本を代表するお祭りです。 祇園という名称はもともと神仏習合の時代に八坂神社が祇園社と呼ばれていたことによります。もっとも 、7 世紀の創建より、明治の神仏分離までの長きにわたり、仏教の守護神である牛頭天王を祀っていたことは特筆すべきことかと思います。牛頭天王が守護する場所が祇園精舎だったので、八坂神社は祇園社と呼ばれていたというわけです。現在中心としてお祀りされているのは素戔嗚尊(スサノオノミコト)ですが、実は日本では古来、牛頭天王と素戔嗚尊は同神であると考
えられていました。
この祇園精舎は『平家物語』の冒頭に出てくる言葉としてご存知ではないでしょうか。

“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。・・・”

正式名称は「祇樹給孤独園精舎」といい、お釈迦様在世の頃、インドに実際に存在しました。 精舎とは寺院の原形のようなもので、お釈迦様をはじめとする修行僧が雨季などに籠る道場とし て使用されました。お釈迦様はインドの大地を歩き回って教えを説かれたことは知られています が、雨季に多く現れる虫や植物を間違って踏み殺すことがないように、この期間だけは建物内で修行するということがありました。これを「雨安居」と呼びます。
「祇樹給孤独園精舎」の名前の由来は、「ジェータ(祇陀)太子」と「スダッタ」という 2 人の人物です。スダッタは身寄りのない人々に施しをする長者という意味で「給孤独の長者」と呼 ばれていました。ある時、スダッタはお釈迦様の教団の雨安居に必要な精舎を寄進するために、 ジェータ太子の所有する土地を譲ってもらおうと願い出ました。しかし、ジェータ太子は譲る気 がなかったので、「もし黄金を土地に敷き詰められたら譲ってもよい」と戯れで言いました。す るとスダッタは私財をなげうち、本当に黄金を敷き詰め始めたのです。広大な土地のあとわずかというところで黄金は尽きてしまいますが、熱意に心打たれたジェータ太子は土地を譲り、自ら も樹木を寄進するなど精舎の建設を援助したということです。ついに、この精舎は2人の名前を 冠し、ジェータの樹林(祇樹)と、スダッタ(給孤独長者)の僧園、「祇樹給孤独園精舎」とし てお釈迦様に寄進されました。

現在、インドに当時の祇園精舎の姿はありませんが、歴史公園として保存され、仏塔や僧院なども建築されています。日本にも祇園神社や祇園寺が全国各地にあり、また地名としても祇園の名は多く残っています。
2500年前の精舎建設をめぐる出来事が、遠い日本の祭礼と繋がっていて、今も多くの人々に親しまれていることは何とも不思議なことではないでしょうか。

合掌

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

6月のお便り(本山団参報告)

 

「福田寺だより」令和元年6月第61号(PDFファイル)

 

“二祖真教上人七百年御遠忌記念 本山団体参拝”

若葉の緑が目に染みる季節となりました。すでに5月で真夏日、猛暑日を記録し、今後が恐ろしいところです。

先月末、2泊3日、京都教区寺院合同での総本山遊行寺参拝を無事終えました。

参加したい気持ちは強いが、なかなか実際は難しいとおっしゃる方が多かったので、ここで参拝団の様子をご報告したいと思います。

初日は名古屋の熱田神宮、円福寺を参拝しました。熱田神宮は三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を祀る社として知られています。宝物館には、京都四条道場金蓮寺の4代浄阿上人が熱田神宮の権宮司の所望で納められた『日本書紀』が展示されていました。国の重要文化財であり、神道と時宗との繋がりを示す大変貴重な史料であるとの解説がありました。

 

また円福寺ではご住職と共に、本堂でお勤めをし、ご法話も頂きました。この円福寺には、熱田神宮に千日間社参して伽藍建立を成就させた厳阿上人が、時宗二祖真教上人に感銘を受け、天台宗より時宗に改宗した歴史があります。また、厳阿上人は前述の金蓮寺の3代目浄阿上人となられており、時宗と熱田神宮、真教上人、そして京都の深い関係性に皆様感心しきりでした。そして、焼津市の温泉宿に宿泊し、日頃の疲れを取っていただきました。宴会で親睦を図っていただきつつ、明日に備えました。

2日目はいよいよ本山参拝です。旅路

も順調で、境内に到着すると、樹齢700年の大イチョウがお出迎え。初めて参拝するという方も多く、少し緊張感がありました。まずは「御対面」として、満100歳を迎えられた真円上人にお言葉を頂戴しました。お歳を感じさせない声とお姿に、驚きと感嘆の声が漏れていました。

本堂での法要には特別に20人程の僧侶が出仕し、六時禮讃、居讃といった時宗独特の声明が響きました。また、参拝団諸志の回向に当たっては、それぞれの思いを胸に静かに手を合わ

されている様子がうかがえました。最後には700年以上の伝統をもつ「御賦算」が行われ、真円上人より手ずから一人一人、お札を授かることができました。ご本山にはお出迎えから見送りまで丁重にもてなしていただき、皆様からは感謝と喜びの声が多く聞こえました。

参拝を終え、ほっと一息ということで、湯河原へと足を戻しました。この日の宴席は、お寺や男女の垣根を超えて、交流を深めることができ、本山参拝という一つの目的を果たされた皆様の一体感を感じ取ることができました。私たちも主催側として本当にうれしい時間でした。

時宗二祖真教上人七百年御遠忌を記念して企画された団体参拝ですが、ご参加の皆様はもとより、ご本山を初め、多くの方々のご協力によって、この本山参拝は無事終了しました。バスを降りて帰路に就く皆様の清々しさは、この団参の成功を表していたのかとも思います。

この御遠忌のスローガンは「なむあみだ佛はうれしきか」です。念仏によってご縁を頂いた皆様は、これからも念仏に喜びを頂きながら過ごしていただけるのではないでしょうか。

合掌

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日11時30分…副住職結婚式

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り

 

「福田寺だより」令和元年5月第60号(PDFファイル)

 

“今年は2562年?”

いよいよ令和の時代の始まりとなりました。世間の空気感は具体的なものではありませんが、何かを期待する様子ではないでしょうか。それだけ日本には平和の裏に隠れた課題も多いということでしょう。

また「時宗」にとっても令和元年は特別な「二祖真教上人七百年御遠忌」厳修の年でもあります。時宗教団確立の功労者である他阿真教上人のご功績を知ることで、さらに念仏信仰を深めていただければ何よりです。

さて、元号を使う和暦やイエス・キリストの生誕日をもとにした西暦のほかに、「仏暦(仏滅紀元)」があるというのをご存知でしょうか。その名前の通り、仏教としての暦であり、お釈迦様の亡くなられた年を基準に作られています。西暦と違って仏暦が亡くなった年を基準とするのは、仏教では死は忌み嫌うものではなく、“必ずやってくるもの”と捉えるためです。とりわけ、お釈迦様の場合は死をもって完全な涅槃(さとりの世界)に入ったとも考えられています。

お釈迦様の亡くなられた年といっても確定ではなく、さまざまな説があります。仏暦を使用している東南アジアの国でも、ミャンマーやスリランカでは入滅の年を紀元前544年、その年を仏暦元年としているのに対し、タイやカンボジアでは、入滅の翌年、紀元前543年を仏暦元年としています。インドのゼロの概念を考えれば入滅の年が仏暦0年なのでしょうか。日本にも数え年、満年齢という考え方があるので似たようなものなのかとも思います。

インドから東南アジアへ伝わった仏教は南伝仏教といわれ、中国、朝鮮半島、日本へ伝わった北伝仏教とは少し毛色が違います。お釈迦様が亡くなられて約百年後に、教団内で戒律をめぐって軋轢が生じ、保守系の上座部と革新的な大衆部の2つの部派に分かれてしまったからです。これは根本分裂と呼ばれ、簡単に言ってしまえば、南伝(上座部系)と北伝(大衆部系)はその時の2つの流れを汲んでいるといえます。大衆部の起こりは、大乗仏教というさらに大きな革新を生み、中国、日本と思想が開花し、今日に至っています。ちなみに北伝仏教ではお釈迦様の生没年を紀元前566年~紀元前486年や紀元前463年~紀元前383年とする説などがあります。

暦の話に戻ると、日本でも全日本仏教会は1994年に世界的に普及しているタイの仏暦を使用し始めました。ですから、今年2019年は仏暦2562年ということになります。西暦から仏暦の年数変換は簡単で、西暦にプラス543年すればよいだけ。覚えかたは543(こよみ)です。仏教徒として覚えておいて損はないのではないでしょうか。

 合掌

「踊り念仏」

先月28日(日)、京都国立博物館にて講演「時宗の声明と踊躍念仏」が行われました。なんと、整理券配布の2時間前から行列ができ、200名の定員はあっという間に埋まってしまいました。私も、まずそんな事態になるとは思っていなかったので、当日見に来られて、整理券を受け取れなかったお檀家様には大変申し訳ない思いです。「朝日新聞デジタル」に動画が配信されていますのでご覧いただける方はぜひどうぞ。踊りというよりは、能のような静かな足踏みが中心です。一遍上人の和讃と合わせて独特の世界が演出されています。

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日11時30分…副住職結婚式

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月のお便り

今月の言葉

仏の正覚しょうがく我等凡夫われらぼんぷの為なりき」

二祖 他阿真教上人

 

【解釈:仏様が覚りを開かれたのは、私たちに覚り・救済の道を示すためである】

「福田寺だより」平成31年4月第59号(PDFファイル)

 

“7歩の歩み”

春の彼岸会中、たくさんの方にお参りいただき、誠にありがとうございます。22日の施餓鬼法要も24名の方が本堂に上がられ、ご回向なされました。日常から離れ、静かに仏様と向き合う時間は非常に貴重なものではないでしょうか。

さて4月8日は、お釈迦様の誕生日として広く知られ、行事としては花まつり・降誕会・灌仏会などと呼ばれます。仏伝によると、お釈迦様は生まれてすぐに7歩、歩きだし「天上天下唯我独尊」(この世で最も尊い存在が仏陀である)と宣言されたとあります。ただしこのセリフの方は、後世になってお釈迦様の尊さを表現した仏弟子のセリフが、お釈迦様の言葉として伝わってしまったと見られています。

では7歩の歩みはどうでしょう。生まれたての赤ちゃんが歩くというのは常識的には考えられませんね。だからといって与太話として片付けてはそれまでです。これはあくまでたとえ話と考えてみてください。

まず、仏教の世界観の一つに六道があります。六道とは六界とも言い、6つの世界のことで、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道を指します。この六道に住む生命は衆生と呼ばれ、私たちは人道に属しているということになります。衆生は生死によってこの六道を輪廻するので、六道輪廻あるいは輪廻転生という言葉が使われます。六道はいずれも苦しみを生む世界ですので、お釈迦様が目指されたのは輪廻からの解脱でした。

「7歩の歩み」に戻りますが、この7は6の一つ上の数ということで、六道から一歩抜け出すことを表現しています。つまりお釈迦様が7歩歩み六道から解脱されたように、私たちも六道をぐるぐると廻らずに、1歩抜け出しなさいと示されているのです。そしてこの六道もまた私たちの心の変化を表していると考えると、お釈迦様の歩みも違った見方になってくるのではないでしょうか。

仏様の教えは言葉だけでは伝わりづらく、また言葉だけで分かったつもりになってはいけないという観点から比喩表現が多く使われます。仏伝やお経を読むときには、その本質を読み取ろうとする姿勢が大事なのでしょう。

 合掌

 

年間行事予定

・1月13日…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

4月13日11時30分…副住職結婚式

4月13日~6月9日…御遠忌特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」(京都国立博物館)

↑当山の御本尊阿弥陀如来像が5月14日~6月9日まで出陳されます!

5月26~28日…総本山団体参拝(京都の時宗寺院合同/ご希望の方に詳細をご案内します)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)