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6月のお便り(令和2年)

今月の言葉

しりてしらざれ、かえり愚痴ぐちなれ」

〈(意訳)知識を得ても知識にこだわらず、知恵がついてもおごり高ぶることがないようにしなさい。〉

「福田寺だより」6月 73号(PDF)

 

“知恵と智恵”

緊急事態宣言が全面解除され、少しずつですが日常を取り戻しつつあります。しかしながら油断大敵です。外出の際はこれまで通り、手洗い、うがい、消毒などの徹底を心掛けたいものです。

コロナ禍において多くの人々が苦しめられています。かつてお釈迦様はこの世を「一切皆苦」と表されました。この苦というものは、新型ウイルスによって突然もたらされたのではなく、何気ない日常に潜み、隙あらば私たちに襲い掛かるのです。苦の代表ともいえるものが「生・老・病・死」で四苦と呼ばれます。生を繋ぎながら死に向かう、その道々で苦に出会います。お釈迦様はまずこの四苦を克服することを願い修行を始められたといいます。

誰しもに平等にやってくるこの苦には原因があります。それは、“求めても自分の思い通りにならない”ことです。四苦だけでなくありとあらゆる苦しみに当てはまります。「なぜ欲しいものが手に入らないのか」「どうして自分だけがこんな目に合うのか」、自分や自分の所有物に固執するとこのように考えてしまいがちです。さらに、弱っているときほど周りが順風満帆に見えて、さらに苦しむという悪循環を起こしてしまいます。どのように苦と向き合えばいいのでしょうか。

私たちは生きる中で言葉と共に多くの知識を得ます。これは実生活では大変役に立ちますが、多くの知識を得て自分の中の常識ができてくると、「〇〇はこういうものだ」、「〇〇はこうすべきだ」といったように、それらに縛られてしまうことがあります。ここにこだわりが生まれ、思い通りにならず苦の原因となるのです。だからこそ仏教では非常識こそが大事なのではないかと思います。なにも顰蹙ひんしゅくを買うような言動をすべきというのではなく、ものごとの両面を考えるということです。常識が表とすれば、非常識は裏、表裏一体ですからどちらも大事です。総本山の他阿真円上人は100歳であられますが、「もう90歳ではない、まだ90歳だ」とよく仰っていました。

かつて伊予国(愛媛県)に仏阿弥陀仏という尼僧がおられました。この尼僧は、習わずとも仏法の要点を自然と語ることができ、常の心得として「しりてしらざれ、かえりて愚痴なれ」と言われたそうです。宗祖一遍上人はこの姿勢を「浄土教の教えにかなっている」と仰いました。まさに“知恵”(知識から来る心)を超えた“智恵”(ものごとをありのままに観る心)ではないかと思います。常に心に留めておきたいものです。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

5月のお便り(令和2年)

今月の言葉

「仏も衆生しゅじょうへだてなく 彼此ひし三業捨離さんごうしゃりせねば 無礙光仏むげこうぶつもうすなり」

〈念仏を唱えるとき、仏様と人との隔たりは無くなり、両者の行為は和合する。阿弥陀仏の別名を無礙光仏(隔たりがない仏)というのはこの由縁である。〉

「福田寺だより」5月 72号(PDF)

 

“ 3密と三業さんごう

緊急事態宣言から1か月が経とうとしておりますが、まだまだ先行きが見えない状況です。「ステイホーム」(お家で過ごそう)を合言葉に全国的に3密(密閉空間、密集場所、密接場面)の回避、外出自粛が求められています。皆様不安な日々を過ごされているかと思いますが、このような時こそ仏道に基づいて、正しく冷静な行動を心掛けたいものです。

さて、最近よく耳にするこの「三密」という言葉は、真言密教では「身密・口密・意密」の三密を指します。
また、仏教には似た言葉に「三業さんごう」があります。私たちではこちらの三業という言葉をよく使います。「業」は「行為」という意味があり、私たちの行為は大きく3つに分けることができます。
身体を使った行動の「身業しんごう」、口からでる言葉による「口業くごう」、心の活動である「意業いごう」、この身口意による行為が「三業」と呼ばれます。

唐の善導大師は『観無量寿経疏』の中で、
「衆生、行を起して口常に仏を称すれば、仏すなわちこれを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわちこれを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわちこれを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまう。彼此の三業相い捨離せず」と説かれています。
身口意の順番は違いますが、口には念仏、身は礼拝や合掌、心には阿弥陀様を念じるという私たち念仏者の在り方、そして同時に仏様も私たちの身口意の三業に応じてくださるということが示されています。私たちが阿弥陀様を常に想い続ければ、阿弥陀様も私たちを想い続けてくださいます。ご先祖様もきっとそうでしょう。私たちが忘れずに想えば、ご先祖様も忘れずに想ってくださるはずです。

ところで、「自業自得」とあるように自らの業(行為)は自らへと返ってくるのが鉄則です。しかし、お釈迦様がいらっしゃった時代、このような考え方とは異なる思想もありました。例えば、現世の運命は過去世の行いによって決まる、または神によって決められているという運命論・宿命論的な考え方。悪行や善行をしても意味はなくその報いを受けることはないと考える道徳否定論。お釈迦様はこういった考え方を否定し、あくまで「因果応報」、行為とその結果を重視されました。

現在、新型肺炎により世の中はパニック状態です。こういう時こそ人間の弱い部分は現れやすく、差別的な言動が横行してしまいます。自らの言動に責任を持ち、その行為が自らに返ってくるものと自覚することが肝要であると言えましょう。

合掌

 

年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年4月より*未定

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)