8月のお便り(令和2年)

今月の掲示板

「福田寺だより」8月 75号(PDF)

 

多聞たもん第一の阿難あなん尊者”

7月初めより断続的に続いた豪雨は熊本県を中心に九州・中部地方など広範囲にわたり甚大な被害をもたらしました。被災された方々に心よりお悔み並びにお見舞い申し上げますとともに、早期復興を祈念いたします。

さて、前回はお釈迦様の十大弟子ということで、智慧第一の舎利弗尊者をご紹介しましたが、今回は阿難(アーナンダ)尊者をご紹介させていただきます。実は、諸説ありますがお釈迦様とは従弟という関係だと伝わります。お釈迦様と同じく王子の身分でしたが、仏門に入り、お釈迦様が亡くなるまでの25年間常にそばに仕え、教えを最もよく聞いて覚えていたので「多聞第一」と称されます。当時、教えを書いて残すことはなく、口伝で伝えられたので、“よく聞いて覚える”ということが大変重要だったのです。

阿難尊者はかなりの美男子で、女難に遭うということもしばしばあったそうですが、修行には実直で、情にも厚かったようです。ある時、お釈迦様の養母であるマハーパジャーパティ夫人をはじめとする女性たちが出家を申し出たところ、お釈迦様は男性集団の中に女性が入ることを案じられ、入門を断られました。諦めきれない彼女たちに、阿難尊者が助太刀して、大変な熱意でお釈迦様を何とか説得したといいます。ここに初めて女性の出家修行者(比丘尼)が誕生したのです。

また、阿難尊者の多聞第一の才能はお釈迦様が亡くなった後の教団の発展に大きく寄与しました。お釈迦様の入滅後に初めて弟子たちによる大規模な集会(結集ルビといいます)が行われた際、最も教えをよく聞いて覚えていた阿難尊者が他の弟子たちの前でお釈迦様の教説を話し、それを確認し合い、皆でともに唱えました。「結集」には「ともに唱えること」という意味があり、「合誦ごうじゅ」とも訳されます。これこそ今日、私たちがお唱えする「お経」の始まりなのです。お経の冒頭は多くが「如是我聞にょぜがもん(このように私は聞いた)」から始まりますが、この「私」とは本来は阿難尊者のことということになります。

阿難尊者は入門後もなかなか覚りを開けず、ついにお釈迦様の入滅にも間に合いませんでした。しかし、諦めることなく、結集を前にして発奮しついに覚りを得たということです。教えを常に聞いて、心に留めていた結果ではないでしょうか。

時々「お経は何のために唱えるのですか」と聞かれることがありますが、その理由の一つは、“教えを忘れないようにするため”だと思います。阿難尊者のようにすべて覚えることは叶いませんので、少しでも“復習する”ことが大切ではないでしょうか。「お経は聞いていても意味は分からないけど、有難い気がする」という方も、そこから一歩、「教えの意味に触れたい」と思っていただければ誠に有難いです。

合掌

 

 

~写経会のご報告~

先月25日の写経会には7名のご参加がありました。足元の悪い中お参りいただき有難うございました。初開催でバタバタしましたが、今後に向けてよりよいものを目指していきたいと思います。どうぞお気軽にご参加ください。

【次回の開催予定:8月22日午後2時より】

*写経会の詳細は こちらから ‎

 


年間行事予定

・1月12日…総代会

・2月15日14時…🈠フラワーアレンジメント教室

【参加費1,000円、申込締切1/31、持物/花切はさみ(あれば)】

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

・第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

4月頃~…京都時宗寺院御朱印めぐり *開始延期

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)