【今月の掲示板】
“花のことは花にとえ”
今年は記録的な早い梅雨入りとなりました。平年より20日ほど早いということですが、明けるのも7月上旬と、早い梅雨明けが予想されているようです。毎年様々な異常気象が現れますが、近年は豪雨災害が顕著となっておりますので、河川の近くや山間にお住まいの方はくれぐれもご注意いただければと思います。
さて、気象現象は様々ありますが、現代のような科学技術をもたない頃はさぞかし不思議な事ばかりだったのではないでしょうか。そのような不思議な現象は宗教的に解釈されることも多くありました。宗祖一遍上人の時代、中世の頃には空にたなびく「紫雲(彩雲)」や「空から降る花、音楽」が吉兆としてみなされ、特に念仏者の臨終の際に現れる紫雲や天からの花や音楽は“極楽往生できた”という証しであると一般に考えられていたようです。
一遍上人の生涯を描いた『一遍聖絵』には次のようなエピソードが残っています。
片瀬の浜の地蔵堂(現、神奈川県藤沢市)にて念仏修行をしておられた頃、出家在家を問わず多くの人々が集まってきたそうです。その時、紫の雲が立ちのぼり、空から花が降り始めたといいます。そのような奇瑞が度々起こるので、一人が不思議に思い一遍上人に尋ねたところ、
「花のことは花にとへ。紫雲のことは紫雲にとへ。一遍はしらず。(花のことは花に訊きなさい。紫雲のことは紫雲に訊きなさい。一遍は知らない。)」とおっしゃったのです。続けて、
「花がいろ 月がひかりと ながむれば こころはものを 思はざりけり」 (花には花の色があり、月には月の光がある。ただそれだけのことであると眺めていれば、心には執着が起こらない) と詠まれました。
いかにもサッパリとしたお答えではないでしょうか。前回のお便りで紹介したように、全ての自然は念仏のあらわれであり、紫雲や花もあるべきようにあるのだと一遍上人は説かれているのです。同時に、一遍上人が勧められた念仏の教えが奇瑞を呼ぶ奇跡じみたものではないということも分かります。
実はこのエピソードは一遍上人の臨終にまで繋がっています。臨終が近づいた頃に紫雲が立っているのを弟子がお伝えした時、上人は「では今日明日の臨終はないであろう。わたしの最期にはそのような奇瑞は出ないはずだ」「ものの道理が分からなければ天魔の心を持ってしまい、真の仏法を信じることができない(奇瑞を妄信してしまう)。大切なのは“南無阿弥陀仏”だけである」とおっしゃり、果たしてその通り、その後は臨終まで奇瑞はなかったということです。まさに身心を自然に任せて、はからいを持たないお念仏を貫かれた一遍上人の姿勢がうかがえます。
合掌
【次回の写経会開催予定:6月26日(土)午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)
*写経会の詳細は こちらから
>「京都時宗道場御朱印巡り」
年間行事予定(令和3年)
・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)
・毎月第4土曜日14時~17時…写経会(令和2年7月より)
・日時未定…総代会
・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)
・9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)