タグ: 二人の僧

5月のお便り(令和3年)

【今月の掲示板】

 

風の音、浪の音

先月25日、3度目となる京都府への緊急事態宣言が出されました。当寺におきましては、御朱印の直書き日設定を中止し、月参りや法要の感染予防対策の再確認をいたします。皆様もどうぞご健康にお気をつけてお過ごしください。私もそうですが、外出を控えるとどうしても体がなまってしまうという方も多いのではないでしょうか。せっかく気候の良い時期ですから、人混みを避けて散歩に行くというのも一つの手かと思います。若葉の香り、気持ちの良い風がまさに「薫風」の趣です。

さて一遍上人の法語の中に「よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。(命あるもの、山河や草木はもちろんのこと、風の音、波の音も全てが念仏である)」というお言葉が出てきます。これは念仏の安心あんじん(信心のあり方)について尋ねられた時の返答の一文で、その前部分では智慧と愚痴、善と悪、地獄と極楽といった一見対立する「境界(区分)」を一切“捨てる”ことを説かれます。これらの境界線を作っているのは執着しゅうぢゃく我執がしゅう(自らのとらわれ、思い込み)であり、これを捨てる、つまり自らの計らいを止めて無心で阿弥陀仏に帰依する心が重要であると説かれました。時宗ではこれを「無安心の安心」とも呼びます。

「執着」というのは誰しもが持っているものでありましょう。“私は真面目で欲も少なく、執着心もない”と思っている人ほど要注意かもしれません。次のようなエピソードがあります。

あるところに二人の旅の僧がいました。二人が山の中で川にさしかかったとき、一人の女性が困り果てていました。見ると前日の雨で川が増水し、女性の力では簡単に渡れそうもありません。一人の僧は「よし、私が背負って川を渡してやろう」と言い出しますが、もう一人の僧は「何を言っているのか。私たちは修行の身で女性の体に触れることは許されていない。かわいそうだが助けられない。」と制止します。それでも「いいから助けてやろう」と一人で女性のもとに歩み寄りました。そしてそのまま女性を背負い、無事に川を渡り終わると何事もなかったかのように旅を続けました。もう一人の僧はその後を追いますが、道中も「戒を破るとは何ということだ」という悶々とした気持ちがぬぐえません。長い道のりを黙って過ごしますが、やはり一言言わなくてはと口を開きます。「先ほどの女性を背負ったのは正しいことなのか。掟破りではないのか」と言うと、女性を助けた僧はこう返しました。「あぁ、君も案外と助平だね。僕はあの女性のことなんか道中すっかり忘れていたけど、君はずっと彼女を背負ったままだったんだね」と。

お分かりの通り、女性を助けた僧は本当の意味で「とらわれの心」を持たない傑僧だったのです。この僧や一遍上人のようにとらわれの心をなくせば「山河草木、風の音、浪の音が全て念仏」と聞こえる至高の境地に至れるのでしょうか。

合掌

令和3年5月限定御朱印(片面300円)

 

令和3年5月限定御朱印(見開き700円)

 

令和3年5月限定御朱印(黄緑和紙、見開き書置き800円)

 

写経奉納限定御朱印(500円・月替わり5月)

【次回の写経会開催予定:5月22日午後2時より】(京都府が緊急事態宣言中であれば写経会は中止いたします)

*写経会の詳細は こちらから

 

 

>「京都時宗道場御朱印巡り」

 


年間行事予定(令和3年)

・通年…京都時宗寺院御朱印めぐり(令和2年10月より)

・毎月第4土曜日14時~17時写経会(令和2年7月より)

・日時未定…総代会

・3月22日14時…春季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)

9月22日14時…秋季彼岸施餓鬼法要(加薬ご飯弁当のお振舞いをします)